こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

アクロス・ザ・ユニバース

http://across-the-universe.jp/

終わった直後の感想。
物凄い映画に出会ってしまった!!

もうなんというか、吸い込まれるような映画だったのだ。
ジュリー・テイモアの脳みそと私の脳みそにプラグが繋がっていて、そのまま何かが流れ込んでくるような感覚。
もしくは、ジュリー・テイモアが夢を司る創造神で、眠っている間に彼女にこんな夢を見せさせられたというか、とにかく凄い映画だった。

ストーリーはとてもシンプル。
舞台は1960年代。
イギリスはリバプールに住むジュートという青年が、見知らぬ父親を探してアメリカの片田舎に辿りつき、そこで出会ったマックスと成り行きのままにNYへ行き、マックスの妹ルーシーと恋に落ちる、といういわゆる、娯楽ミュージカルの王道の「ボーイ・ミーツ・ガール」ストーリー。
NYに辿りつくまでは、ビートルズの音楽を使用した普通のミュージカル映画だ。

けれども、NYにたどり着いて以降は、ワンシーン、ワンシーンがそのまま紛れもなく完璧なアートなんである。一枚一枚写真にして美術館に並べてもそのまま鑑賞に耐えるものだと思う。

特に、海岸で切々と歌うルーシーの風になびく髪、羽ばたくまつげ、微妙な色を写す瞳や、白い壁に真っ赤なイチゴがピンで留められ、滴り落ちてくる赤いインクなんかは、舌なめずりしたいほど、圧倒的な美しさだった。

けれども、ビートルズの音楽との融合、そして、1960年代のベトナム戦争キング牧師の死、更にラブ&ピース運動という世相のシニカルな描写、これらが複合したものがジュリー・テイモアの芸術だから、やはりそこは「映画」でなくては表現できないものだったのだろう。
そして、その単品で一つ一つ尖っている素材をつないでまとめる、そのために、単純なストーリーが必要で、だからこそ、この作品は「ミュージカル映画」という形態で完璧なのだと思う。

1960年代というのは、私たちの世代が1番知らない時代である。
もちろん、親や教師からからどういう時代だったかは1番聞いている。
けれども、歴史として勉強するには身近で、だけど生まれる前だから、とりとめなく話される大人の言葉から、つきはぎのイメージを作りあげている時代で、改めてこうやって徴兵制、ラブ&ピース運動と、人々が何かに飲み込まれていくさまを映像で見る、というのは印象的でもあった。

特に、婚約者がベトナムで死に、兄マックスも徴兵された後、ベトナム戦争反対運動に傾倒していくルーシーが、我関せずの恋人ジュードにこう叫ぶセリフが印象的だった。

「私たちはもっと怒らなきゃいけないのよ!」

多分、より良い世界を夢見る「怒り」の時代だったのだろう。
そして、ビートルズの音楽がそのムーブメントにびっくりするほどマッチしているのだ。改めて、この時代があって、あの音楽が生まれたのだと深く納得した。

主役の三人は殆ど無名に近い俳優たちだと聞く。
特にジュード、マックスは飛びぬけてハンサム、というわけではない。
けれども、キャラクターの個性と魅力を表現して、二人ともとてもステキで、見終わる頃にはすっかりファンになってしまったくらいだった。
そして、ルーシー役のエバン・レイチェル・ウッドの健康的な美しさ。セディ役デイナ・ヒュークスの不思議な魅力。
誰においても、ジュリー・テイモアが、人間を一つの創造物として美しいものとして映像に残しているのが良くわかるのも、この映画の魅力だとう。

とにかく、凄い映画であることは間違いがないので、 音楽好き、モダンアート好きの人、物事を感覚で、肌で、感性で受け取るタイプの人は騙されたと思って一度ぜひ見て欲しい。
ジュリー・テイモアのくれる刺激を浴びる至福の時間がやってくるから。

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