こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

古い時代の話をしよう@昔の日記からさらに昔の宝塚歌劇を語る

2010年に書いたものが、わりと自分が面白かったので記録的にアップします。
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ヅカファンとは不思議なもので、何故だか、自分の見てなかった時代も勉強してしまう傾向にある。それはもちろん、歌劇やグラフで、生徒さんたちが過去を振り返るせいもあるだろう。そして、何故だか産まれてくる妙なつながりのせいもある。

というわけで、私も見出したのは89年からなのに、とりあえず、自分の熱い時代の1、2代くらい前までのトップさんの作品は1、2個は映像で見たことはあるし、だいたい頭に入っている。
私の場合は、高汐巴大地真央、平みち、峰さをり時代が、一世代前になる。
この4人に関してはトップさんだから知っていて当たり前、だ。
けれども一方で、見なかった時代のトップにならなかったスターさん、というのはあんまり知らない。

それなのに、寿ひずる、だけは知っていた。
もちろん、梨園に嫁いだ、というのも知っていた理由の一つだったけれど、まだまだビギナーファンの耳にもいーちゃんのウワサは、いーちゃんがいればねえ、という言葉は、チラチラチラと入ってきたのだ。
もちろん、杜ちゃんが研3で新公初主演をした時の本役さんがいーちゃんだったこと、本公演で下級生でいーちゃんの肩に手を掛けて歌うシーンで緊張して手が震えた、というようなエピソードを話してらしたことがあるせいもある。

そんなわけで、wikipediaで「寿ひずる」を引いてみたら、思った以上にすごい経歴が書かれていて、驚いた。
特にココ!
「1982年、花組へ組替え。すでに翌年退団の決まっていた花組ダブルトップ松あきら順みつきの後を受けて、花組トップスター就任のための組替えであった。10月、突然、歌舞伎役者五代目坂東八十助(現十代目坂東三津五郎)との婚約を発表。年内での退団が決定」

さらに知らなかったのが、この事実。
「寿の"トップ就任なき退団"は花-雪両組間で平みち - 高汐巴の「交換トレード」的組替実施・組替先でのトップ就任(高汐・1983年、平・1985年)が行われるなど、昭和末期の宝塚(4組体制)の男役トップ勢力図に大いに影響を残した」

そういう大変動の中で、なーちゃんの組変えと同時のご本人曰く「棚ボタ二番手」就任があったわけだ。

そういう宝塚の流れから行くと、私の見ていた時代が寧ろ一番おかしかったんじゃないだろうか、という気がしてきた。

異例の平成初期安定期(笑)

唯一の波乱、はルコさん(朝香じゅんさん)の二番手退団、だったけれど、それによって、誰かがどっかに飛ばされたり、呼ばれたりするわけじゃなく、繰り上がっただけだった。

結局、宝塚は波乱と混沌と安定を繰り返していくのだと思う。
だから、自分にフィットした時代や、フィットする部分を見つけて、楽しんでいくのがいいのだろう。

ということで、私は、一人っ子政策で育ったような、組純粋培養トップスターが好きだ。
そして、組カラーのある安定時代の再来を望んでいる。