こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

アラフィフ負け犬がビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

ファンタジーは逃避か心のケアか@unrato#8「薔薇と海賊」

3/36(土)14:00~ 茨木クリエイトセンター・センターホール

f:id:morton:20220330113123j:image

作:三島由紀夫

演出:大河内直子

音楽:阿部海太郎

 

出演

楓阿里子 霧矢大夢

 千恵子 田村芽実

 重政  須賀貴匡

 重巳  鈴木裕樹

松山帝一 多和田任益

額間 大石継太

定代 羽子田洋子

セリ子 篠原初美

チリ子 松平春香

 

unratoとは演出家・大河内直子さんとプロデューサー・田窪桜子さんによる演劇ユニットとのことです。ウェブサイトを拝見する限り、割と珍しい海外戯曲が取り上げられているような印象です。

その中で三島由紀夫の戯曲の中でもメジャーじゃない方を取り上げてくださったことに感謝します。こういう作品があったことを知ることができました。

 

さて事前に聞いていたのですが、この芝居は3幕編成でした。

f:id:morton:20220330113158j:image

一幕は童話作家の楓阿里子邸に白痴の青年・松山帝一がお目付け役の額間とともに訪れる。ここで登場人物全員の紹介が行われるイメージです。

二幕目に物語が動き出す。

阿里子が帝一に心動かされ、それに夫・重政やその弟・重巳が振り回されていく。そして楓阿里子邸のいびつさが表面化していきます。

そして最後の三幕が途中から今まで見ていたものはなんだったのだろうか、というファンタジー展開に。

しかしファンタジーを描きながらも、阿里子が告げる最後の言葉に「三島、天才!」とゾクゾクするとともに、考え込んでしまいました。

 

阿里子の生きている環境は、個人的にはほぼほぼ生き地獄といっていいと思っています。自分への犯罪加害者と結婚し、その共謀者も自宅に住み込んでいて、それは阿里子の中の「整合性」と折り合いをつけるために阿里子が選択したこととはいえ、針の筵のような気さえするのです。

そこまでしなければならなかった阿里子の中の「何か」と、そして生きていくために童話、自分だけの美しい世界を生み出したことはつながっているような気がします。

 

この作品は娯楽作品ではないので、原因や理由や動機などは明らかにされません。

でもだからこそ考えてしまう。阿里子の孤独、生み出した美しい童話の世界、それに感銘を受けてくれた純粋無垢の青年。

この青年が阿里子の希望と夢であったことは確かで、でもそれが「恋」かと問われると私にはわからないのです。

 

ただ見ながら「100de名著」金閣寺回で解説されていた三島の「恋とコンプレックス」をなんとなく思い出させたのです。

心身ともに激しく傷つけられた阿里子が、どうにかして現実の世界と迎合しようと、自分だけの理論で組み立てた中で必死に生きようとして、それでも傷は癒えなくて違う世界を作り上げるその姿は、三島由紀夫自身にも見えてきたのです。

三幕で一瞬終わったかのように思えた戦いは、最後のセリフで、まだまだ続くのだと宣言された気持ちになってしまったのです。

それはとても哀しくて、こうとしか生きられない不器用さみたいなものも感じました。

あの三幕が現実であったのかどうかすらもわからない。

でもだからこそ心に残る、考える。阿里子とは何だったのか。

罪の意識すらもたず、かえって阿里子を崇め愛する醜い男たちは何なのか。

現実とは何なのか。何を現実というのか。

そういうことを思える作品に出会えた、いい2022観劇初めでした。

 

そして声を大にして言いたいのは、やっぱりこういう戯曲を上演するときには劇場で売りましょうよ、戯曲!

廃版で手に入らないのが残念でなりません・・・。

 

ところでキャストなのですが、一部で二人の男性が話す内容を聞くと霧矢大夢さんの阿里子はちょっと容姿的にミスキャスティングのような気がしていました。しかしながら、だんだん阿里子の内面が見えるにつけ、この人はこういう「楓阿里子」であり、こういう人だから、この世界で立って、あの最後のセリフを言えるのだと納得しました。

帝一とのシーンはラブシーンというより、大事なものを守る神のようで、それは三島の意図とは違っていたのかもしれないけれど、こういう「楓阿里子」をステキだと思わせてくれました。

【4月19日追記】

図書館で戯曲を借りて読んだところ、あとがきにこのような記述がありました。

本曲のラヴ・シーンは、クラシック・バレエのラブ・シーンの如きものである。(中略)それは甘い、甘い、甘い、糖蜜よりも、この世の一等甘いものよりも甘い、ラヴ・シーンでなければならない。この喜劇の中で、ラヴ・シーンだけは厳粛でなければならない。

文学座プログラム・昭和33年7月)

クラシックバレエのラブシーンということは、夢のように美しく作りこまれたもの、だと個人的に想像します。リアルではない。そこにリアリティがあってはならない。ただ美しく魅せてくれるもの。そう思うと三島の「ラヴ・シーン」とはわたしが想像していたものとは違っていて、この時わたしが感じた「神々しいほどの美」は、三島の作り上げたかったそれに近かったのではないか、と思ったりします。

 

他は千恵子役・田村芽実さんと額間役・多和田任益さんがしたたかさと世俗的なところを存分に見せて素晴らしかったです。

帝一さんは「夢の男性」なので、これはもう個人の好みでしょう。

個人的には霧矢さんの阿里子がチャーミングな面も持ちながらもきりっと頑ななイメージだったので、対比するような柔らかで透明感のある、その存在が夢と思わせる方だといいなと思いましたが、白いスーツが着こなせていた時点で十分です。

 

演出については、おそらくそれほどない予算の中でよく魅せてくださったなと思います。

ただ前に予算も劇場も段違いだろう「黒蜥蜴」を見たとき、三島のセリフの調べの美しさに酔ったのですね。

stok0101.hatenablog.com

 

これは日本語を「音」としてとらえられる分、ルヴォー氏の方が有利だったのかなあと思います。

そんなわけで、黒蜥蜴くらいの予算つけて、ルヴォー氏、この作品も演出してくれませんかねえ。

【4月19日追記】

初演で真木小太郎氏が手掛けたという装置(セット)も気になります。

彼のシックなセットに傾倒していた、とあとがきに書かれていたのですが、どのようなセットだったのか。

ト書きを読む限り、今回のセットは本当にト書きの通りなんですよね。

でもト書きどおりでも違う絵は見られた気がするので、

また違う演出・キャストでも見たい!

そう思うほど、いい作品でした。