10/3(土) 17:30〜 兵庫県立芸術文化センター中ホール
作・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ
キャスト
マーガレット・ロイド 緒川たまき
ハットン 山内圭哉
タチアナ・ソニック 高田聖子
王様 仲村トオル
ハム 水野美紀
ドクター 温水洋一
サーカス 犬山イヌコ
ヤング 松下洸平
物語は単純です、驚くほどに。
ロイド社の社長マーガレットが、婚約者とともに貧民街であるベイジルタウンの開発に乗り出します。
ベイジルタウン全域の購入のため、ベイジルタウンの8番街と9番街の所有者であるソニック社の社長タチアナと交渉します。
タチアナが譲渡の条件としたのが「マーガレットが一文無しでベイジルタウンに一か月暮らすこと」。マーガレットがこれをやり遂げたなら無条件で8番街と9番街を譲渡するというのです。
周囲が止めるのも聞かず、ベイジルタウンに乗り込むマーガレット。
その裏でさまざまな思惑が動き出します。
とはいえ「超・純粋無垢のお嬢様」マーガレットがそれゆえに無敵であることは明らかで、ドキドキハラハラはなく安心して見られます。
純粋無垢だからこそベイジルタウンにもあっという間に慣れて、溶け込み、人々と交流しながら生活していく様子はおかしく、ほほえましく、思わず笑顔になってしまいます。
そんなベイジルタウンに住む人々もいい。
お金も安心して眠れる場所もないけれど、とりあえず食事の配給はあって、その日暮らしを楽しんでいるようにさえ見えるのです。
それぞれに事情を抱えてこの町にいると思われるけれど、お互いにいい意味で無関心で、それはそれ、自分は自分という距離感と価値観で当たり前のように「自分と違う他人」がそこにいることをわかっている。
それは一種の理想郷にも見えました。
いつも通り上演時間は長いんですけれど、
全く長さを感じないまま、一部は登場人物に心の中できゃあきゃあ言いながら終わり。
バクっと全体を表現するとありふれた「ドタバタ・コメディー」という肩書きになるのじゃないかと思います。
そんなわけで二部は、婚約者によるロイド社の乗っ取りやら、タチアナのマーガレットに対する執着やら、身分違いの若者同士の恋愛やら、主人公の恋愛やらも絡んできます。
それをどう解決するのか、どんなハッピーエンドがくるのか、わくわくと見ました。
そのくらい物語から暗さや影は排除されています。ハッピーエンドしかない、とわかるくらいに舞台の上はおとぎ話のような幸福感が漂っていますし、実際に勧善懲悪で完ぺきなハッピーエンドが、これ以上ないくらいベッタベタなハッピーエンドがやってきます。
なのにその「ベッタベタなハッピーエンド」がやってきた瞬間に、なんなら石油王とかいうあり得ない幸福の上積みまでされたときに、自分でも信じられないくらいボロボロと泣いてしまったのです。
泣きながらやっと「カイロの紫のバラ」の主人公の気持ちがわかったのです。
「カイロの紫のバラ」の中で主人公セシリアが最後に夢中になる映画は「トップハット」です。MGMお得意の夢のようなハッピーミュージカルです。
しかしこれが、1935年というアメリカ大恐慌時代に公開されたものである、ということの意味をはじめて感じました。
自粛期間中に読んだこの漫画の序章でも、
大恐慌まで知らなかった、仕事がないって、お腹がすくってどういうことか、というセリフがあります。
コロナ禍はありがたいことにわたしにとって「耐え難いほどの苦痛」でも「生きていくので必死」なくらいの切羽詰まった状況でも、今のところありません。
それでもそれはわたしたちから「何か」を奪い、頭か肉体か心か、どこかを疲れさせていたのかもしれません。
「カイロの紫のバラ」を見たときに、日常の嫌なことを一瞬でも忘れさせてくれる、そこにエンターテインメントの意義があるということを見せるすごい映画だと思ったのですが、「ベイジルタウンの女神」はそういうエンターテインメントの力を見せてくれたのです。
お得意のプロジェクションマッピングの演出が、ラストシーンでカラフルにセットを彩ったとき、「ここは夢の国か!」と思いました。
そしてわたしが今「夢の国」をもとめていたことを初めて認識しました。
エンターテインメントがエンターテインメントとして成り立つには作品やスタッフ、キャストが一流であることが必須です。
作る側の方がコロナ禍は現実として相当な問題であるはずです。なのに、こんな観客を癒やす作品を生み出してくれることにただただ感謝しかありません。
緒川たまきさんの間違いない純真無垢さ。その強さと優しさ。
仲村トオルさんの単純でアホっぽいかわいらしさ。
水野美紀さんの格好良さ、高田聖子さんのいじらしさ。
そんな大人たちに囲まれながら、松下洸平くんと吉岡里帆ちゃんという若い2人が恋を実らすシーンはなんともいえない穏やかで柔らかな気持ちになりました。
その上でそこまでただ可愛い女の子だった吉岡里帆ちゃんが、「いちゃいちゃしたいんだよ!」と恫喝したところが最高!
当書きってこういうことなんだなあと終始心地よく見ました。
緒川たまきさん以外は皆さん何役か兼ねていて、唯一の悪役である山内圭哉さんも最後には違う役の方で幸せになるのが、本当に隙なく幸せで埋めてやろう、という意思さえ感じました。
衣装もセットも転換も音楽も工夫されているけれど、とがっているところはありません。
むしろ隙なくすべてキレイに整えられています。
その「隙なくすべてキレイに整える」ことがどれだけ「娯楽作品」を作る上で難しいかが分かるからこそ、本当にこの作品はすごいです。
これは確実に今、必要とされる作品だと思います。そして、ちょっとだけ厳しい現実があるときに常に横にいてほしい、そういう作品でした。ただこの舞台から発せられる何かは、きっと映像では受け取れない気もするのです。
だから客席数を減らさなければならなかったのが残念だし、もっと多くの人たちが見られるとよかったなあとしみじみ思います。
そして見られたことに感謝を。
幸せが、夢見る世界が間違いなく舞台の上にありました。
願わくば、仕事がなくてお腹が空いても、自由で幸せなベイジルタウンのような世界でありますように。
さらに女神が降臨してより幸せにしてくれることもちょっと欲張って願ってみたりします。