こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

彼女は逃げない@宝塚雪組「ファントム」

11/17(土) 11:00〜

ファントム 望海 風斗
クリスティーヌ・ダーエ 真彩 希帆
ジェラルド・キャリエール 彩風 咲奈
フィリップ・ドゥ・シャンドン伯爵 彩凪 翔
アラン・ショレ 朝美 絢
カルロッタ 舞咲 りん

脚本/アーサー・コピット 
作詞・作曲/モーリー・イェストン
潤色・演出/中村 一徳 翻訳/青鹿 宏二

アラフォーおといーぬは当時宝塚休憩中ではありましたが、2004年版の初演を見ています。
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ブロードウェイミュージカルの初日本版、という言葉に弱いくらいにはブロードウェイファンなのです。

とは言え、記憶が1シーンしかない。
アンドリューロイドウェバーの「オペラ座の怪人」もロンドンで見ているのですが、面白かったけれど夢中にはなれず、ミュージカル映画
オペラ座の怪人 [Blu-ray]
ジェラルド・バトラー,エミー・ロッサム,パトリック・ウィルソン,ミランダ・リチャードソン,ミニー・ドライヴァー
ギャガ・コミュニケーションズ
もみていないありさまで、ストーリーについてはほぼまるっと忘れた状況で見に行きました。

そんなわたしがまるっと忘れていたストーリーはこんな感じでした。

カルロッタと従者の男がオペラ座の中を探っている。男は地下で仮面を被った男に出会い、そのまま行方をくらませてしまう。
一方、シャンパンで財をなしたシャンドン伯爵は、オペラ座の前で歌いながら自作の曲を売っているクリスティーヌに出会う。
その歌声に惚れこんだシャンドン伯爵は、歌のレッスンを受けられるようオペラ座の支配人キャリエール宛の紹介状を書いてクリスティーヌに渡す。
しかしその頃オペラ座はアラン・ショレ&カルロッタ夫妻に乗っ取られて、キャリエールは支配人の座を下ろされてしまっていた。
キャリエールはオペラ座には幽霊がいるから気をつけるようにと言い残し去る。
その後夫妻の元には「ファントム」からの脅迫状が届き、初公演をめちゃくちゃにされてしまう。
そんな頃、シャンドン伯爵の紹介状を持って現れたクリスティーヌは、シャンドン伯爵がオペラ座パトロンであることを知った夫妻によって衣装係として雇われる。
オペラ座にいられるだけで幸せと歌うクリスティーヌの歌声に魅了された「ファントム」はオペラ座に立てるようクリスティーヌのレッスンを申し出る。
2人のレッスンが進みクリスティーヌは歌声を披露する機会を得て、オペラ座デビューが決まるが・・・


オペラ座の怪人」には描かれない「なぜ彼がオペラ座の怪人になったか」というところを見せる演目なのですが、ここの部分は2部になります。

オーバーチュアの間、オペラ座の地下に潜っていく映像が1部でも2部でも流れるのですが、これが軽いアトラクション気分で作品の世界観を乗せてきたいい演出だと思います。
全体に衣装もセットも豪華で、セリフのある役は少ないけれど、わらわらと人がたくさんいるのが「オペラ座」の裏側っぽいのもよかったですし、クラシックなコーラスも多く、存分に宝塚歌劇の強みは打ち出せたかなと。

さらにファントムとクリスティーヌの歌がめちゃくちゃうまいので、このハーモニーを聞くだけで、作品的には成功です。
もう2人の声が合わさったときの「音」が鳥肌モノの美しさでした。

なのでストーリーについてどうこういうのは野暮でしょう。
けれどもいいたくなる、え、そんな設定だっけ?なキャリエールの、ファントムの過去。
そしてファントムとキャリエールの関係性を考えると、実際はトップスターより年若い二番手がキャリエールを演じなければいけない宝塚制度も苦しい。

この体制でいくならば、2部のキャリエールの昔語りはキャリエール本人に若返らせてやらせてあげたいけれど、それはそれで役が少ないから他の生徒に当てるのも残念です。

ところでわたしが唯一覚えていたシーンというのが、キャリエールとファントムの最後の銀橋のシーンでした。
そのときのキャリエール・樹里咲穂さんのセリフの言い回しがうまくて上手くてそれだけが記憶に残っていたんですね。
それを彩風咲奈(咲ちゃん)がやるってことで、かなりドキドキものだったのですが、セリフ回しはともかく、このシーンの歌い出しの「音」(エリック、のエの部分)がすごく低く柔らかく暖かい音色ですばらしく、今回の「ファントム」は、「歌声」が良かったにつきるなと思いました。

ところで見ているうちになくなっていたと思っていた記憶も、どこからか蘇ってくるようです。
2部の美しく慈愛に満ちあふれ、まるで聖母のようにすら感じたまあやクリスティーヌの「My True Love」を聴きながら、これなら私がファントムも仮面外すわと納得してたんですけど、でも外した後の行動がふっと蘇ってきたんですね。
で当時のクリスティーヌ・花總まりさんのこの歌を「ファントムだまされるな。この女を信じるでない!」と思いながら聴いていたことを思い出したのです。

だから歌としては今回のまあやちゃんがあるべき姿なのだけど、役作りとしては花總さんの方が正しいわけですよ。

とはいえ、まあやクリスティーヌの「My True Love」が素晴らしすぎたのでこれは失くしたくない。
となるとその後の演出を「ガラスの仮面」の「二人の王女」でマヤが演じたアルディスの「ためらいの演技」くらいにしてもらえませんかね?
(分からない方は今すぐ「ガラスの仮面」文庫版16巻を買って読んでください!笑)

せめて鏡のシーンでシャンドン伯爵に「助けて」というセリフを変えるとか、その辺もともとの脚本をいじるのはやっぱり難しいわけでしょうか。

となるとまあやクリスティーヌが「わたしってピュアだからあなたがどんなでも大丈夫って思い込んでいるだけの軽さ」を込み込みで歌ってもらわないといけないわけで、しかしそんなの込み込みで歌われたら、ファントムだって分かってたけど仮面外したよ、にしないといけないわけで、いろいろと難しい演目だなと感じました。

あとは役について箇条書き。
カルロッタ 舞咲りんさん。
いやあ当たり役ですね。コミカルからシリアスまで自由自在。もちろん歌もすばらしい。

シャンドン伯爵 彩凪翔さん。
プレイボーイっぷりが板についた格好良さ。「シャンパンの王様」の肩書きの似合うこと。そして咲ちゃんキャリエールと本物の友だちっぽいところがステキでした。

アラン・ショレ 朝美 絢さん。
よくぞこんな役をきっちりと歌い演じたものです。あーさ(朝美 絢)の演技力の確かさを実感。
こうなるとあーさシャンドン伯爵も見たかったです。

ところで小池先生以外の一本ものを見るのがかなり久しぶりだったので、フィナーレのバリエーションに驚きました(笑)
娘役だけのシーンもあるし、ダンスナンバーの振り付けもいいし、銀橋を色んな人が歌って渡るわでとても楽しかったです。
ショー作家としてのスキルを存分に発揮されたフィナーレでした。

天才役は一級品@ミュージカル「ジャージーボーイズ」

10/27(土)17:00~ 新歌舞伎座

フランキー・ヴァリ 中川晃教
トミー・デヴィート 伊礼彼方
ボブ・ゴーディオ 矢崎広
ニック・マッシ spi

太田基裕
阿部裕
畠中洋

綿引さやか
小此木まり
まりゑ
遠藤瑠美子

大音智海
白石拓也
山野靖博
石川新太

演出: 藤田俊太郎

フランキー・ヴァリもフォーシーズンズも知らなければ、この映画の存在も知りませんでした。
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なのになぜ見に行ったか。
アッキー(中川晃教くん)の歌声が満喫できると聞いたからです。
感想。
なぜ、初演時、東京まで遠征して見なかった、私!
と大後悔するほどアッキーの歌声はすばらしく、ライブ感満載の楽しい作品でした。

ジュークボックス・ミュージカルというカテゴリーにはなるようですが、フォーシーズンズやフランキー・ヴァリの往年のヒット曲に違うストーリーをつけているわけではなく、彼らの物語を描いているので、ボーイ・ジョージニューロマンティック世代を描いたこのミュージカルに近いです。
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物語はフォーシーズンズの一人トミーが「天使の歌声」を持ったフランキー・ヴァリを見出すところからはじまります。
そこから起こることは、おそらく多くのバンドやグループが経験することなんだろうなと想像できる内容。
ドン底から成功へ。
そしてそこで起こる価値観の違いと才能と金銭からくる亀裂。
それでも「仕事のため」と日本人にはちょっとわからない「ニュージャージー出身者の連帯感」でグループを存続させていこうとするフランキー・ヴァリ
けれども一度入った亀裂は広がる一方で・・・。


3階建てのセットと、重ねられたテレビに映る映像、1番上に設置された客席が映る鏡に、最初視点をどこに持って行ったらいいのか迷ったのですが、物語がはじまるとすぐに馴染んでしまったのが不思議です。
照明も通常の演劇やミュージカルよりももっとライブ寄りでなかなか面白く、そういう点でも見応えもありました。

またキャストもそれぞれにいいキャスティングで、特に伊礼彼方が個人的には今まで見た役の中でもハマっていて見直しました。
憎めない悪役をできるのは実はなかなかいないのですよね。体格もいいし、王子路線よりもこちら側の役の方が彼に似合っていると思います。
また矢崎広くんをはじめて認識したのですが、かわいらしく、歌も上手でもはや今のミュージカル界の男優はテニミュに感謝しなければと強く思いましたね。
そしてほかのアンサンブルの方々も少ない人数でいろいろな役を演じ分け、好演していました。

でもそんなことよりどんなことより、アッキーなんです!

アッキーは演技は特にうまくはありません。セリフまわしが単調で、ストーリーテラーパートが最後に回ってくるのですが、そこのところは「うーん」という感じではあります。
でもそんなことはどうでもいいのです。

「天使の歌声」というキャッチフレーズをホンモノに感じるあの歌声。
天才を見つけた、という言葉どおりの天性を感じる何か。そしてその天性によるピュアさ。
モーツァルト!」の時のヴォルフガング役がそうだったように、アッキーそのものが「天賦の才能」を与えられた人で、だからこそ「天才」役をやらせると、もう役なのか本人自身なのかわからなくなるのです。

アッキーに与えられたものは歌声だけではありません。
舞台に1人で立って空間を埋めるというのも、努力と環境だけでは身につけるのが難しい能力なのですが、アッキーにはそれがあります。

とりわけ「君の瞳に恋してる」のシーンで、セットがカーテンで遮断され、ミラーボールと照明だけの中で歌い上げ、劇場中を圧倒するとあの華。
物語と伴って、彼はホンモノの天才でスターなんだ、と鳥肌モノでした。
このシーンだけでもこの作品は価値があります。
それにセリフまわしはあれだけど、アッキーって動き方はきれいなんですよね。リズム感が良いせいなんでしょうか。他の3人より振りと歌がバッチリはまってるのが素晴らしいです。

なりより往年のヒット曲が次々と流れて、ショーシーンが多く、楽しい!
観客もライブのノリで盛り上がるし、今年1番楽しいミュージカルショーだった予感がいまからしています☺︎

しかし本当にこの作品、中川晃教がいなければ日本版を作れなかっただろうなあと思うと、彼がミュージカル界にいてくれたことに心から感謝したのでした。

モデル気分は味わえる@台湾変身写真館

間違いなく一番読んでいただいている「宝塚ステージスタジオ」の体験ブログ

stok0101.hatenablog.com

なのに、このブログ、体験してからずいぶん経ってから書いたため、記憶が曖昧なところが多いのです。
本当にすみません。

このブログの内容充実のためにもステージスタジオにもう一度チャレンジしなきゃと思っていたのですが、なかなかステージスタジオに好みの衣装がラインナップされない。
そして自分はどんどん年をとっていく哀しさ…。

そんな焦りをよそに「台北食い倒れ旅行」計画のほうが進んでいきました。
ということであまり主張しない同行者たちをいいことに、旅行計画に半ば強引に「変身写真館」を組み込みました。
そんな「台湾変身写真館」のレポートをお届けしたいと思います。

お世話になったのは「Magic's」という変身写真館。
日本語も通じるとのことで、各種ガイドブックでもWEBサイトでも紹介されている有名店です。
予約もWEBサイトで日本から日本語でできました。
今回わたしたち3人組が選んだのがA(2着)コース。
13時スタートで申し込んだら、だいたい終わりの時間は17時だと返信がきたのですが、実際には3人全員が終わったのが15時頃でした。
なので終わり時間は最大長くても、の時間が見込まれていると思います。

雑居ビルの2階にあるお店なので、ビルに入ったらまずエレベーターで2階へ。
エレベーターがあいた瞬間、こんな空間が出迎えてくれて思わず気後れするわたし(^◇^;)


受付でコースの確認があって、配送と料金の説明がありました。
特別仕様のアルバムを作ったり、写真枚数を増やしたりするとどんどん金額があがっていくシステムです。
オプションはつけず、ただ1枚だけツーショット写真の追加を希望したので、配送料込で6500元(約26,000円)でした。
さてこれが安いか高いか。
まあでも日本でこれやっててても「高い!」となって行かないのは見えているので、海外旅行という金銭感覚の狂ったなかでやるのは正解です。

とりあえずお金の話が終わり、配送用の伝票も書いたら次は衣装を選びます。
タブレット2台が渡されたので同行者2人に渡して、わたしは膨大なアルバムから選ぶことにしました。
といってもWEBサイトでだいたい決めていったので、この辺は時間短縮できたと思います。
お店の膨大なサンプルの中から短時間で選ぶのはかなり難しいと思うので、先にWEBサイトでじっくり見ていくことをおススメします。

わたしが選んだ一着目がこちら。

一応同行人と「ポーの一族

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のイメージで一緒に撮影したかったので、バラのドレスにしてみました。
髪型もこれでいいか聞かれたので「金髪は絶対にイヤ。黒髪にしてください」とお願い。
同行人が選んだ衣装の隣の写真がちょうど黒髪のヘアスタイルだったので「こんな風でいいか」と聞かれ、それで了承。

そして2着目がこちら。

これは事前に選んでいたものではなく、同行人が選んだ衣装の次のページに載っていたものです。
太い二の腕が隠れて、胸は強調できて、足も見せられる衣装がいいなと思っただけの理由で選びました。
こちらは髪型もこれでいいよと言ったのですが、これはちょっと後悔しました。
なぜ後悔したかは追って書いていきますね。

衣装を選んだところで、更衣室に案内され、荷物とアクセサリーなどを預け、携帯とロッカーキーを専用のトレイに入れます。
このトレイはほぼほぼ店員さんたちが管理してくれているので、気にする必要はありません。というか店員さんを信じるしかありません。
衣装が準備されると呼ばれ、カーテンで間仕切られているだけのフィッティングルームで衣装をきます。
わたしはガタイが良い+最近中年太りが激しいため、衣装が入るのか気にしていたら、全く問題ありませんでした。衣装は後ろのヒモでしばって調整するので、太い分には問題ありません。
(同行人が二人とも太れないのが悩みというスリムな体型でして、聞いてみたところ、細い方は衣装を安全ピンで詰められるそうです。大は小を兼ねるのです。でもなんとなくそれを聞いたとき哀しい気持ちになりました…)
そしてやはりブラの肩紐はハンパにおろされるので、こちらでも肩ひもなしブラでいかれる方がベターです。

衣装を着たら次はメイクです。
ガイドブックにすっぴんか下地程度で行くがよい、と書かれていたので、最低限の下地メイク&眉で行ったところ、そんなことは気にもされず上からガシガシ塗られました。
そして目に何かされたな、と思って鏡を見てみると、なんか目元が変になっている。
なんだ、この違和感。
と変な顔になってしまった自分にがっかりしつつ考えてみると、どうもアイプチをされたようです。

ちなみにわたしは二重なのですが、さらにそこからのアイプチ
つまり目とアイプチでできたもう一つの二重の間をメイクを埋めていく方式なのでした。
そうです、宝塚メイクが下まつげを無視して顔面にまつげの絵を描くことで目を大きくするのと逆の発想。
眉と瞳の間を狭くすることで目を大きくする方式なのです。
個人的にはこちらのほうがより西洋っぽい顔立ちになるので好みでした。
さらに嬉しかったのが何をどうしたのかさっぱりわからないけれど、顔のラインがシャープに小顔になっている!
宝塚メイクではここは補正されなくて(というかタカラジェンヌに顔のラインのたるんだ人なんていないので当たり前です)、自分の顔面素材にがっかりしたところだったので、これは嬉しい♪

メイクが仕上がったところで、最初にかぶされた髪ネットの上からウィッグがかぶせられました。
そして「自分の顔のどちらの面が好き?」と聞かれました。
そういえば昔、勤めていた会社の社長からわたしはどちらかの横顔のほうがキレイだと言われたことはあったのですが、どちらか全然覚えてなくて、思わず「え!どっちがいいですか?」と店員さんに聞くしまつ。
店員さんは嫌な顔一つせずにわたしの顔を右左と動かし、真剣に鏡で確かめて右と決めてくれました。ありがたい。
ウィッグをセットし、右側がメインとなるように髪飾りをつけてくれて完了。
この時点で想像以上の仕上がりでした。

さていよいよ撮影です。
カメラマンが紹介されて、名前の入ったホワイトボードを持たされて、間違いを避けるためのスナップを取られてからスタジオへ。

スタジオの中は軽く10セット以上のセットが置いてある比較的広い場所でした。
ゴシックホラーからオリエンタルまでカオスもカオス。広いセットだと4畳くらいのスペース。狭いのだと1畳あるかないかでしょうか。
セットはたぶん衣装を選んだときに決まってるのでしょうね。
カメラマンに連れて行かれるままでした。
ポーズは細かくカメラマンが指定してくれ、でっかいライトに照らされてると、モデルさんってこんな気分なのかな、と思いました。

とりあえず1着目が終わって、2着目の衣装変えへ。この時点では肩の羽っぽいのはつけずさっぱりした印象。普通に我ながら似合ってましたし、店員さんも褒めてくれました。(1着目は褒められなかったのでうれしいわたしw)
さらにメイクも衣装に合わせて濃くされます。
黒のアイラインで目全体を囲うという一度やってみたかったメイク。
さらに宝塚メイクで判明したわたしの口の小ささを補足してくれるリップメイクにも感動。
そしてロングヘアのウィッグをつけてみたら、なんかちょっとだけ、本当にちょっとだけですけど「ビヨンセ」風に。
色白&華奢にあこがれているのですが、わたしの素材は真反対にラテンな感じなので、このメイクとこの時点での衣装は割と似合っていたのです。
最初に2枚とも髪型はアップスタイルでいいかと聞かれたのですが、こっちをダウンスタイルにすればよかったなと思っているうちに、アップにされ、三つ編みのウィッグがさらに上にのせられていきます。
そしてどんどん大きくなる頭…。
さあ、ここで元の写真をもう一度見てみましょう。

彼女は頭小さくて、首も細くて長いからこのヘアスタイルが似合っていることに改めて気づきました。
さらに二枚目のつけまつげをつけられて、より濃くなったアイメイクに肩の羽根っぽい袖をつけると、出来上がったのは、見事なショーパブのママ感。
しかも首が短いので羽根の袖で首が埋まる(涙)

まあでもここまで来たらしょうがない。覚悟を決めて撮影です。
クールな感じで取りたかったのですが、カメラマンにはやたらと「柔らかい顔で」と指示される始末。
そして、一枚目でもそうだったのですが、肩を下げる指示を繰り返されます。
これはダンスでもそうなので、やはり美しい姿勢というのは肩がきれいにおりている状態なのだなと再認識。
ドレスと違って動きに自由が効く分、9センチくらいのピンヒールはいたまま片足を上げたりとなかなかの筋力を使いました。
(そして今、元画像と比べて靴が違っていたことに気づいたよ!元画像の靴の方が甲まであってラクそう)
いやマジでエクササイズ程度とはいえ、ダンスやっといてよかった。

撮影終了したら、メイクを落とすかと聞かれたのですが、メイク直し用のポーチをホテルに忘れていたため、つけまつげだけ外してもらうことに。
その後メイク落としにホテルに戻ったのですが、これがアイメイク専用のメイク落としを使ってもなかなか落ちない。
その場で落とされる方はメイクを落とすためのいろいろなアイテムを持参することをおススメします。

終わったら、お菓子とお茶が出てきました。
2時間の格闘でのどカラカラだったのでうれしい!
しかも口紅がおちないよう、ティーカップなのにストロー付(笑)

ということで、最終の写真はまだできあがってきていませんが、すでにいろいろ反省点が。
そしてこの反省を活かして再チャレンジしたい、と思わせるあたり、「台湾変身写真館」侮れません。

【10/26追記】
変身写真館を体験したのは、10/7だったのですが、アルバムが届いたのは10/24でした。


現地では11月中頃と案内されていたのですが、だいたい約20日後に届きました。
「肌とほうれい線以外に修正したいところありますか?」と聞かれていたのですが、「その2つをしてくれるなら充分」と答えて帰ってきました。

ドキドキと開封


いやー、肌とほうれい線をいじってもらうだけでこんなに違うんですね!
でもとりあえず2着目が濃いアイメイクのはずなのに、ほぼわたしの原型を留めていたのがナゾです。そしてこちら側はドアップの写真もありました。
うん、わたし、体型が1番問題なのね、、、と改めて厳しい現実に気づきました(涙)
ちなみにデータはUSBでこんな形で入ってました。


データ自体は1枚10MBくらいあるので、現地でアルバム作らなくてもこのデータでアルバム作るのはありかなと思います。

孤独と干渉どちらがマシか@シス・カンパニー「出口なし」

9/29(土)18:30~ サンケイホール・ブリーゼブリーゼ

ガルサン 段田安則
イネス 大竹しのぶ
エステル 多部未華子
ボーイ 本多遼
[演出/上演台本]小川絵梨子

サルトルというと世界史の中で「哲学者」としてちらっと学んだ記憶がある程度です。たぶん多くの日本人がそうじゃないかなと思います。
わたしも実は英国に行くまでこの戯曲のことを知りませんでした。
知ることになったきっかけは2004年のエジンバラ・フリンジ・フェスティバルにロンドンで勉強させてもらっていた小劇場劇団がこの作品も持って参加することになったからです。

(当時のポスター。5つのうち3つにスタッフとして参加しました)
その際にわたしは事前に送られてきた英語の台本を読んだのですが、さっぱりわからない。
仕方ないので、渡英前に大阪市立中央図書館の書庫から日本語訳の本を出してもらって読みました。
でも日本語で読んでもわからない。
そして渡英して稽古に参加しはじめてもわからない。

そんな「出口なし」とはこんな話です。
窓がなくたった一つの扉とブロンズ像、そして3つの椅子が置かれているだけの部屋がある。
そこにボーイに連れられて元ジャーナリストのガルサンがやってくる。
はじめてこの場所に来たガルサンはボーイにあれこれ聞くが、ここがそこであり、想像していたものとは違うようである。
すると次に郵便局員だったイネスが入ってくる。
彼女はここに来た理由を自分でわかっているという。
最後に裕福な若奥様であるエステルが登場。
無邪気な彼女はなぜこんなにところに自分がやってきたのか皆目見当がつかないという。
しかしながら3人は話をするうちに本当の自分をむき出しにしていく。


「出口なし」は本題を「Huis clos」といい、このフランス語を訳するときに「NO EXIT」となり、その英語を日本語に訳したため「出口なし」というタイトルがついたと聞いたことがあります。
本来は「接見禁止」とか「傍聴禁止」とかそういう意味だそうです。

わたしはスタッフで参加しましたので、稽古期間も含めるとこの芝居を丸2か月ほぼ毎日見ました。
けれど日本語で見るのははじめてで、改めて日本語で見てみると「出口なし」というタイトルもこの芝居にあったいたように思います。
扉のセットが象徴的だったのも、日本語タイトルを意識したようにも見えました。

わたしが参加したロンドンの小劇場劇団はこの芝居をエステルのWキャストで上演しました。
そのエステルの違いが明確に理解できだしたころ、やっとわたしはこの芝居の面白みに気付いたのです。
さらにやはり観客が入ると芝居は毎日変わります。
ある日見ながらひたすら笑っているカップルが客席にいたことがありました。
わたしには爆笑するポイントがさっぱりわからなかったのですが、演じている役者たちも「本来この話は滑稽な部分ももっているんだ。今日のような反応があると嬉しい」と言っていたその意味を今回の日本語での上演をみて、やっとわかりました。

ガルサンとエステルは俗悪的で、イネスは厭世的な人物です。
そんな3人がもつれあうさまはうんざりと醜い
けれど会話の端々やちょっとした間が笑いを産んだのです。

日本語ありがとう!(涙)
(そしていかに英語ではそこまで理解できていなかったか痛感しました…涙)

悲劇は喜劇になりうるのは人生の常で、人と関わらず生きていくのはほとんどの人にとって難しく、孤独をとるか人と関わって傷つくか、どちらがマシかは究極な選択な気がします。
「人と関わり傷つけあう」という環境を与えられ、それから逃れられない苦痛を味わう彼らの姿はどこか現代のわたしたちとも重なるところがあって、人間というのはどんなに時が経っても変わらない動物であることを改めて知りました。

今回の芝居ではそのスリリングさと滑稽さがとても面白く、興奮しながら見ました。
(この芝居は3人の本性が少しずつ分かってくるところも面白い部分なので、ネタバレなしの方向で書いてます。わたしは見る前から、そこがどこかも知ってるし、3人がどんな人間でどんなことをやってきたかも知ってるし、結末も知っているのにスリリングなんです。そこがすごい!)
わたしの中では、ガルサンは紳士のふりをしている臆病なオオカミなイメージだったのですが、段田安則さんのガルサンは「単なるみえっぱりのおじさん」でそれが今回の芝居に面白みを与えていたように感じました。
大竹しのぶさんのイネスはさすがの一言。
白いブラウスに黒ロングのタイトスカートという衣装もひじょうに似合ってらして、イネスらしかったです。
そして実はわたしが一番心配していたのがエステルの多部未華子ちゃん。

前述したようにわたしはエジンバラで二人のエステル(二人ともブロンド美女だったことを付け加えます)を見ています。
一人のエステルは本人も元々成熟した人で、行動的だったこともあり、エステルのすべての行動が「美しさを武器に、自分の感情の赴くまま楽しい人生を送れるように工夫していた」ような女性像だったのです。
彼女自身もエステルはどこか「計算して」行動している、と思って演じていると言っていました。
だからこそエステルが浅はかで哀れに見えたものです。
もう一人のエステルは実年齢が20歳そこそこで、エステルの幼稚さ、単純さ、そして美しく産まれた者だけがもつ傲慢さをもっていました。純粋だからこそ残酷さが際立ったのです。

ということで、わたしにとっては、エステルが「美人」であることは絶対条件だと思っていたのです。
けれど多部未華子ちゃんはかわいいけれど、決して「美人」ではない。
そこをどうするのか興味津々だったのですが、おじさんのガルサン、おばさんのイネスに囲まれたとき、彼女のもっている「若さ」が美しさになることがわかりました。
(ロンドンの劇団では当時女性陣は全員20代前半、ガルサンも30代半ばでした)
多部未華子ちゃんのエステルは「自分の若くかわいいところが男性にとって魅力的に映ること」に確信をもっている女のコでした。浅はかながらも考えて行動している人に見えました。そういう意味では上記の一人目のエステルに近かったです。
「わたしを離さないで」よりも個人的にはキュートで魅力的で好きでした。

この芝居、東京は新国立劇場の小劇場で上演されたそうですが、正直そのくらいが最大限だったと思います。
サンケイホール・ブリーゼブリーゼでは舞台そのものも大きすぎて、それをいかに閉鎖された空間にみせるか、カーテンを奥に向かって斜めに引いたりして工夫されていました。
もちろん他のセットは奥の扉と呼び鈴、そしてブロンズ像と3脚の椅子だけです。
それだけでこれだけ濃密な芝居が産まれるすばらしい作品です。

戯曲の日本語版は絶版になっていて購入が難しいのですが、英語版ならkindle版も比較的安価で手に入りますので、よろしければ。
No Exit and Three Other Plays (Vintage International)
Stuart Gilbert
Vintage


ラスト近くの、ガルサンとエステルが共謀してイネスを痛めつけるシーンのイネスのセリフが、英語版のほうがリズムがあっていいんですよね。Cowardが臆病者となるだけで、言葉としてはもちゃっとしてしまうのがちょっと残念でした。そしてイネスのセリフがこのシーンを「ショー」的に見せようとしているのですが、日本語ではそこまでなりきれないのも残念。
英語だとこのイネスのセリフです↓↓↓
Do as you’re told. What a lovely scene: coward Garcin holding baby-killer Estelle in his manly arms! Make your stakes, everyone. Will coward Garcin kiss the lady, or won’t he dare? What’s the betting? I’m watching you, everybody’s watching you, I’m a crowd all by myself. Do you hear the crowd? Do you hear them muttering, Garcin? Mumbling and muttering. "Coward! Coward! Coward! Coward!"
このセリフ回しがうちの劇団のイネス役を演じたコがうまくて、未だに耳に残っているんですよ。
そう思うと意味は全く分からないだろうけれど、フランス語でも見てみたいです。

世間と自分との孤独な闘い@宝塚月組「エリザベート」

9/14(金)13:00~ 宝塚大劇場

トート 珠城 りょう
エリザベート 愛希 れいか
フランツ・ヨーゼフ 美弥 るりか
ルイジ・ルキーニ 月城 かなと
ルドルフ 暁 千星
ゾフィー 憧花 ゆりの
マダム・ヴォルフ 白雪 さち花
エルマー 蓮 つかさ
ヴィンディッシュ嬢 海乃 美月

なんと宝塚のエリザベートを見るにはこの宙組

MASTERPIECE COLLECTION【リマスターBlu-ray版】『エリザベート-愛と死の輪舞-』('98年宙組)
姿月あさと,花總まり,和央ようか,湖月わたる,朝海ひかる
宝塚クリエイティブアーツ

以来のことになります。
東宝版も2010年版(瀬奈じゅんエリザベート×城田優トート)以来になりますので、8年振りのエリザベートでした。

もはや宝塚の代表作の一つにもなっている作品ですので、あらすじを紹介するのもどうかなとも思ったのですが、一応さらっと書いておきます。

第一次世界大戦がはじまる60年ほど前、ハプスブルク家がまだオーストリアで権力を握っていたころ、バイエルン王家の次女エリザベート(愛称:シシィ)は父親と自由を愛する気ままな少女だった。黄泉の帝王「トート(死)」をもを惹きつける魅力は、姉のお見合い相手だったオーストリア皇帝フランツ=ヨーゼフ2世の目にも留まり、二人は結婚し、シシィはオーストリア皇后となる。
しかしながら、自由奔放に育った田舎のお嬢さまシシィは堅苦しい宮廷になじめず、姑ともそりがあわず孤立していく。
そんなシシィの前に何度も「トート(死)」が現れ、死に誘う。シシィは拒否しつづけるが、孤独は深まり、ついに宮廷を飛び出し、さすらいの旅に出る。


ウィーンで作られたこのミュージカルを宝塚に輸入するにあたり、男役トップスターを主役にしなければならないという宝塚ルールにより、宝塚版のエリザベート「トートがシシィに恋をする」という小池修一郎先生による大いなる潤色が施されています。
ということで、宝塚版は「トートとエリザベート恋物語」として見るのが正しい見方なのだとは思うのですが、わたしは初演雪組に続く星組で上演されたものを見たときから「トートとはシシィの死への渇望が具象化した存在」と考えています。

シシィは歌にもあるように「ただの少女」で、わたしたちとそう変わらない。
シシィと姑・ゾフィーとの関係ややり取りだって、現在にもありえるでしょう。
嫌なことが起こって、それが続いて、逃げ出したくなることも、それでも放り出す勇気もなくて、「ああ、このまま死んでしまえばラクになるのかな」なんて考える日は、少なくともわたしには数えきれないくらいありました。
死にたい、わけではなく「死ねば今しんどい現実から逃げられる」という短絡的で甘い誘惑。
それこそがエリザベートにおける「トート(死)」だとわたしは捉えているのです。
日本語だから「トート」という響きが人名のように聞こえるけれど、ドイツ語ではまんま「死」と呼ばれているわけですしね。

とりわけシシィが夫に「母親か自分かを選べ」と突きつける最後通告のシーン。
演じる人によって違うのですが、今回の愛希れいかさん(ちゃぴ)のシシィもこのシーンで「弱気になって、自分に癒しを求める夫」を拒否することで、多少なりとも自分も傷ついているようでした。
そんなときにそっとやってくるのです、「死」という名の誘惑が。
でもここでシシィは誘惑をはねつける。
まだ人生を諦めるには早い。
まだ「死」を選びはしない
と。
そして彼女は改めて「自分」を貫き通して生きていくと宣言するのです。

でも、シシィが正しいか間違っているかは置いておいて「どこでも自分を貫き通す」のは簡単ではない。はっきり言って、自分と世間との闘いです。
その孤独な闘いに共感できるシシィだと、わたしはこの作品を非常に面白く見ることができます。
そして愛希れいかは想像以上のシシィを作り上げてきました。

東宝版のエリザベートでは、わたしが見たシシィたちは年齢が高く、前半の少女の部分がどうしても厳しいし、ウィーン来日公演版も残念ながら若いアンダースタディの方だったため、後半の中年期のシシィが厳しかったのですが、ちゃぴのシシィは「パパみたいになりたい」でちゃんと可愛くてわがままな少女でした。
後半の中年期のシシィを演じられることは「グランドホテル」で証明済み。
少女から中年女性まで1人の女がきちんと歳を重ねていくリアルな演技が本当に素晴らしかったです。

その上で今まで見たシシィとはまた違う、ちゃぴならではのエリザベート像がありました。
ちゃぴのシシィを見ながら思い出していたのが、藤本ひとみさんが書かれたこの本

皇妃エリザベート (講談社文庫)
藤本ひとみ
講談社

のシシィでした。

自己愛が強く、人にあわせたり媚びたりすることができない高いプライドの持ち主。
白城あやかさんのシシィが圧倒的な女王として民衆を、そしてわたしたち観客を威圧した「エーヤン、ハンガリー」のシーンでは、少女らしいとまどいの中に強さを見せ、このセリフを言ったあとの「はじめて目に見える勝利」に興奮しているかのような表情が忘れられません。
今まで決して多くはないけれど、少なくはない回数エリザベートを見てきて、わたしにとって、このシーンの白城さんを超えるシシィはいなかったのですが、ちゃぴは違う方法で納得させてくれました。

ところで「死」がシシィの中にある誘惑であるという解釈で見ているわたしですが、もう一つ思っているのが、具象化されたあれは「シシィのこうありたい姿ではないか」ということです。

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ちゃぴのシシィは傲慢でわがままです。自分を決して譲りません。その分、珠城りょうさんのトートはどこか誠実さや包容力を感じさせて、本当はちゃぴシシィもこんな風に素直に誠実に生きたかったのではないだろうかと思わせてくれました。
とはいえ、トートは誘惑ですからもう少し誘惑としてのセクシーさがあれば個人的には嬉しかったです。ドクトル・ゼーブルガーが本当のおじいちゃんみたいな扮装だったのは演出家の指示でしょうが、あそこは出来たらどこか危険な香りのするセクシーな男性像の方が好みでした。

一方のフランツ・ヨーゼフ2世(愛称:フランツィ)は現在でも賢明な王だったと賞賛されることが多いそうですが、エリザベートという作品の中では、やはり彼も「自分の要求ばかりを訴える」んですよね。シシィがそれ以上に「自分、自分」だからなんとなく流されがちなんですけれど、「疲れたから癒してほしい」とか、「一度きみが私の目で見てくれたら」とかフランツィも割と要求ばかりです。しかも自分は王族なのに恋愛結婚を通したくせに息子のルドルフには普通に政略結婚させて、彼の悩みには寄り添わないあたり、本当に「皇帝教育」の賜物だなあと思います。

美弥るりかさん(みやちゃん)のフランツィはそういう傲慢なところを、皇帝としての普通として、さりげなく感じさせるところが本当にすばらしかったのです。繊細さ、孤独、弱さ、ずるさ。それを美しく演じる、これこそが宝塚のフランツィの一つのあり方ではないでしょうか。

ということでちゃぴの完璧に作り上げたエリザベートとみやちゃんの傲慢で弱く美しいフランツィを再び見ることをとても楽しみにしていたのですが、台風24号のせいで前楽S席のチケットを取った公演が中止になってしまった哀しさ。
それでも、本日10/1に大劇場千秋楽を無事迎えられたこと嬉しく思います。
でもあの完璧に作り上げられたシシィを、出来たらまた見たいので、卒業後、今度は東宝版で演じてくれることを祈っています。

あとはキャストについてカンタンに箇条書きしておきます。

ゾフィーのすーさまもかんっぺきでした!理想的なゾフィーの歌声。強さとともに普通の姑でもあって、シシィのわがままさが際立ったところも面白かったです。すーさま、大好きでした。すーさまのゾフィーも本当にもう一度見たかった(涙)ご卒業おめでとうございます。

月城さんルキーニ。はじめて月城さんを認識したのですが、確かに美人ですね。歌も演技も良かったです。ただ、ルキーニ役だからわざとかもしれませんが、少し身体の動かし方の雑さが気になりました。改善されているといいなと思います。

ありちゃんルドルフ。脆さと危うさがかわいらしさと相まって堪りませんでした。

くらげヴィンディシュ嬢が、これまた素晴らしかった。わりと今までみたヴィンディシュ嬢が狂気っぽさを前面に出していたのに対して、くらげのヴィンディシュ嬢は気高くて心から自分を「皇后エリザベート」だと信じきっているのだとわかりました。そこにホンモノが現れてバランスを崩していくさまが良かったです。

さちかマダム・ヴォルフ。宝塚の舞台としてのギリギリのエロさがサイコーでした!もちろん歌も!

そして、宝塚歌劇団と小池先生と珠城りょうさんにお願いを。
東京公演ではぜひ、最後のパレードの銀橋でトップ娘役さんに挨拶するところを、麻路さきさんのようにちゃぴの手にキスしてもらえませんか
あれはサヨナラ公演で本来であれば主役であるはずのシシィ役に対する敬意を感じますし、なりより見ててキャッ♡となります(о´∀`о)←これで見終わってすぐ来週も行く!と大学さぼって平日当日券に並び、当時なけなしのお金をはたいてVHSを買ったくらいですから、やって損はないと思うのです(笑)

ところで最後に少し疑問があったので書かせてもらいます。前述したとおり、わたしが最後に宝塚版「エリザベート」を見た頃は「わたしが踊るとき」という歌はまだありませんでした。
そのため今回宝塚版でははじめて聞いたわけなんですけれど、あそこの歌詞に「カモメよ、私」とあるのにはじめて気づきました。
シシィのいとこで、有名なノイシュヴァンシュタイン城を作ったルートヴィヒ2世が、シシィをカモメと呼んでいたことはまあわりと知られてる話しではあるとは思うのですが、今回の舞台にはルートヴィヒ2世は登場しないし、わかりにくくないですか?
それともみんな、すんなり受け入れてるんでしょうか。まあその辺りも勉強しなさいよ、ってことなんでしょうか。

何はともあれ、わたしはいろいろな捉え方ができる「エリザベート」という作品がやっぱり好きみたいです。

闘うものの声がきこえるか@ドキュメンタリー映画「性別がない」「愛と法」

9/15(土)にシネヌーヴォで「性別が、ない!」を9/22(土)にシネリーブルで「愛と法」を見てきました。
どちらも大阪公開初日だったため、監督と出演者のアフタートークがありました。
作品だけを見ての感想が正しいカタチだとは思うのですが、どちらのアフタートークも非常に興味深かったため合わせて書いてみたいと思います。

まず「性別が、ない!」。
こちらは漫画家の新井祥さんとパートナーのうさきこうさんのドキュメンタリー映画です。

新井祥さんは半陰陽インターセックス(IS)とも呼ばれる性分化疾患者です。
男性でもなく女性でもなく、男性であり女性でもある。
新井祥さんご自身は30歳まで性分化疾患に気づかず、当時男性とご結婚されていました。
しかし体調の変化から病院に行ったところ、性分化疾患と診断されたとのことです。
この辺りのことは新井祥さん自身の漫画に描かれていますので、ぜひお読みください。
性別が、ない! (1) 性別が、ない! (ぶんか社コミックス)
新井祥
ぶんか社
「性別が、ない!」人たちとのつきあい方~実はあなたにも当てはまる20の性別パターンガイド~ (本当にあった笑える話)
新井祥
ぶんか社
LGBTだけじゃ、ない!「性別」のハナシ (本当にあった笑える話)
新井祥
ぶんか社

私はこのマンガをおそらく10年くらい前から愛読していて、だから今回の映画を見に行きました。
マンガで描かれる新井先生の視点や分析がとても分かりやすく、興味深く、そして何があっても常に明るくポジティブなマンガの中の新井先生の姿に憧れてさえいました。

しかし映画でみる新井先生は当たり前だけれど、マンガとは違っていて、受ける傷も何もかも覚悟の上で、世間と闘っていました。
その姿は厳しく、時には怖くすらありました。
そして闘うにはこのくらいの気持ちが必要なんだと気づかせてくれました。

監督が「マンガのコマの間の描かれていない新井祥さんの姿を撮したい」とおっしゃって、今回のドキュメンタリー映画化が実現したそうです。
単純に楽しくマンガを読んでいた自分の浅さも痛感しました。

映画で映し出されるのは新井先生とこうくんの日常です。
実はマンガでは新井先生とこうくんの関係については説明がなくて、こうくんが新井先生宅に住みはじめ、アシスタントをするようになり、そして同居にいたって10年以上になっています。
数年前にこうくんが無事漫画家デビュー
ぼくのほんとうの話
うさき こう
幻冬舎コミックス
純情少年 僕が男とヤッた理由
うさきこう
ぶんか社
し、ゲイであることを公表して、まあそういう関係なんだろうなあとは思っていたのですが、実際はもっと単純で複雑でした。
そして新井先生とこうくんの関係こそが、恋愛や婚姻からなるパートナーシップしかない、となんとなく思っている今の常識的なものに一石を投じているのではないかなと感じています。
(新井先生は戸籍上は女ですし、こうくんは男だから婚姻は可能なのです。でもそれを選択していません)

アフタートークで新井先生がおっしゃっていた「パートナーシップ制度は誰とでも結べるものだといい。友達同士でもいいし、それこそ愛犬とかとも」という言葉は本当にその通りだなと。
実際、愛犬の場合だと寿命の差とかもあるので難しいけれどね、ともおっしゃってましたし、のちにTwitterで起こりうる問題点を補足してくださいましたが、パートナーシップの考え方の根底がこういうことであると選択肢が増えていいなと思うのです。

「性別が、ない!」というドキュメンタリー映画で私が感じたのは、1人では倒れてしまいそうなとき支えになるものがあるといいということでした。
それが今のところ、新井先生にとってはこうくんで、こうくんにとっては新井先生なのでしょう。

こうくんはマンガで初登場したときから「美少年」に描かれているのですが、ホンモノのこうくんは本当に美形でした。
そして新井先生がマンガよりも厳しいところ、繊細なところを感じたのに対して、こうくんはマンガよりも明るくて強いイメージが強かったです。
そんな2人のバランスがとてもいい映画でした。

ところで「この世は男と女しかいないんだから」という言葉をよく聞きませんか?
新井先生はそのどちらでもなく、そういう意味では「世の中にいないことになっている存在」であるわけです。

そんな「世の中にいないことになっている存在」を再び考えさせられたのが「愛と法」でした。
こちらは弁護士のゲイカップルの日常が描かれます。

「性別が、ない!」の監督が、撮っているうちに何かテーマ的なものが見えてくるだろうというスタンスであったのに対して、「愛と法」は監督もカップルの片割れカズ(南和行さん)も、思いがあって映画を作り上げていたのが対照的でおもしろかったです。
(と実際に南さんがアフタートークでおっしゃっていました。)


主人公たちが弁護士ですから、「愛と法」にはさまざまな問題が登場します。
彼ら自身も性的マイノリティーであることと闘っていますが、その他の闘う人と一緒に闘うことが仕事です。
その闘う人の中に「無戸籍者」という人たちが登場します。さまざまな事情で戸籍を持たず育ってきた人たちです。

新井先生が愛犬とパートナーシップを結ぶときの1つの問題として「戸籍がない」ということをおっしゃっていましたが、彼らには日本という国で権利を得るために必要なそれがないのです。
権利を得るための闘いを見たときに、いま私の周りにある権利や自由は、誰かが闘って手に入れてくれたのだなあとしみじみと感じました。

愛と法」のプロデューサーはエルハム・シャケリファーという方で、イラン系イギリス人だそうです。
そんなわけでこちらの映画には英語字幕がずっとありました。
これが非常に面白くて、とりわけ地下鉄に乗るシーンで、地下鉄のアナウンスも全部英語で表示されるんですよ。
元々映画自体も「窮屈な日本」という側面を描こうとしている部分もあるので、それを際立たせるための英語字幕だったのですが、これが実に効果的でした。

車内混み合いましてご迷惑をお掛けいたします。
しばらくの間、ご辛抱ください。


毎日毎日何気なく聞いているこのセリフ。
改めて英語で謝罪文として見せられ、patienceなんて単語を見せられると、そんなに「ガマンを大事にする国」なんだなと痛感しました。
ロンドンの地下鉄で思い出せる車内アナウンスといえば「Mind the gap between the train and the platform(電車とホームの隙間にご注意ください)」くらいなもの。
ときどき、◯◯駅には止まらないよ、なんて唐突に流れて、駅がスキップされたり、唐突にここまでだから降りてねと途中で降ろされたりしたものですが、基本的には2001年当時は次の駅の紹介と先ほどのMind the gapくらいしか車内アナウンスは聞きませんでした。

結果的にはロンドン地下鉄の方がかなり色々ガマンさせられてる気がするのですが、それを言葉にするかどうかでこんなに見えてくるものが違ったのです。

さて「性別が、ない」がシネヌーヴォという大阪の小さな下町の映画館で公開されたのに対して、「愛と法」はシネリーブルという来日観光客にも大人気のスカイビルがある梅田のど真ん中の映画館で公開された違いはなんだろうと思ったのですが、見て分かりました。

愛と法」は主人公2人が大阪で育ち大阪で働いて、大阪を愛しているからです。
どうでもいいのですが、実は私と南和行さんは高校の同級生です。とは言ってもクラスが違うし全く接点なかったので知らないのですが、まあ同じ大阪で育った身から見ると、私の地元も映画の中に映し出されるし、やはり大阪の中心地・梅田での上演がピッタリだったなとか思いました。

ところで以前見た「FAKE」でもそうだったのですが、「性別がない」でも「愛と法」でもネコのカットが数回ありました。
登場人物たちがたまたまネコを飼っていたからなんですけど、新井先生ところは犬も飼われているんですよね。でも犬よりネコの方がカット数が多かったのはなぜなんでしょうか。
ドキュメンタリー映画における「ネコ」。
なんとなく調べてみたら面白いそうなんて関係ないことを思ってしましました。

The Best Musical FOREVER!@来日コーラスライン2018

9/1(土)17:00~ オリックス劇場

原案・オリジナル振付・演出:マイケル・ベネット
台本:ジェームズ・カークウッド&ニコラス・ダンテ
音楽:マーヴィン・ハムリッシュ
作詞:エドワード・クリーバン
オリジナル共同振付:ボブ・エイヴィアン
ツアー公演エグゼクティブプロデューサー:ビッグ・リーグ・プロダクション ダニエル・シャー
アソシエイトディレクター:ピーター・ピレスキ
演出・振付・再構成:バーヨーク・リー

グレッグ役:ニコラス・バーク NICHOLAS BERKE [Greg]
ディアナ役:ナタリー・ブルジョワ NATALIE BOURGEOIS [Diana]
ヴァル役:メリッサ・ケイビー MELISSA CABEY [Val]
ドン役:ウェズリー・イアン・カピエッロ WESLEY IAN CAPPIELLO [Don]
ザック役:アーロン・パトリック・クレイヴン AARON PATRICK CRAVEN [Zach]
シーラ役:カーリア・デイヴィス KAHLIA DAVIS [Sheila]
リッチー役:ダリウス・R・デルク DARIUS R. DELK [Richie]
マギー役:ヴェロニカ・フィアオーニ VERONICA FIAONI [Maggie]
ジュディ役:ローレン・ギャリオット LAUREN GARRIOTT [Judy]
コニー役:サマンサ・チョー・グロスマン SAMANTHA CHO GROSSMAN [Connie]
クリスティン役:エリカ・ジェーン・ヒューズ ERICA JANE HUGHES [Kristine]
マーク役:ピーター・ヒューズ PETER HUGHES [Mark]
ボビー役:ライアン・コーバー RYAN KOERBER [Bobby]
アル役:チャーリー・ナッシュ CHARLIE NASH [Al]
ビビ役:ローラ・ピアポント LAURA PIERPONT [Bebe]
ポール役:ジョゼフ・ロザリオ JOSEPH ROSARIO [Paul]
マイク役:アンドリュー・ナタール・ルジエッリ ANDREW NATALE RUGGIERI [Mike]
キャシー役:マディソン・ティンダー MADISON TINDER [Cassie]
ラリー役:ジョシュ・ザッカー JOSH ZACHER [Larry]
ロイ役:ギデオン・チコス GIDEON CHICKOS [Roy]
ブッチ役:ジョヴァンニ・ダ・シルヴァ GIOVANNI DA SILVA [Butch]
トム役:スティーヴン・デル・コル STEVEN DEL COL [Tom]
女性スウィング:フランシーン・エスピリトゥ FRANCINE ESPIRITU [Female Swing]
ヴィッキー役:ハンナ・フェアマン HANNAH FAIRMAN [Vicki]
ロイス役:エミリー・フランクリン EMILY FRANKLIN [Lois]
フランク役: デヴィッド・グラインドロッド DAVID GRINDROD [Frank]
トリシア役:ゾーイ・シュナイダー=スミス ZOË SCHNEIDER-SMITH [Tricia]
男性スウィング:アンドリュー・ワイナンス ANDREW WINANS [Male Swing]

こちらのドキュメンタリー映画

ブロードウェイ♪ブロードウェイ コーラスラインにかける夢 (プレミアムエディション 2枚組) [DVD]
マイケル・ベネット,ドナ・マケクニー,ボブ・エイヴィアン,バイヨーク・リー,「コーラスライン」オリジナルキャスト
松竹


が公開された翌年の来日公演を見に行きました。 

stok0101.hatenablog.com

感覚的には2、3年前くらいのつもりだったんですけど、日付を見てビックリ!
もう9年も前のことなんですねえ。
考えたら、いまやすっかり来日公演の受け皿となっているシアターオーブが出来る前のことなのでそれくらい経ちますか。
それだけ前回の来日公演は私にとって大いなるインパクトを残し、そのインパクトが強烈すぎて記憶が破裂している感じなのです。

つまりキャストについての記憶がほぼ皆無…。
ザックもどこにいてたんでしょうねえ。

ただ前回は1階席の後方で見たことだけはすごく覚えていて、だから今回よりもザックとかセットについて見えていたはずなのに記憶がないのです。
この「コーラスライン」という作品は間違いなく中劇場クラスがぴったりで、上から見ることはよろしくないんじゃないかとは思っていたのですが、私のサイフの都合と、あえて上から見てみたらどうだろう、という興味で3階席を買ったのですが、大失敗でした。
見切れ席であることは購入時点で分かっていたし、納得して購入したので文句は言えないのですが、まさかここまでの見切れ席だったとは・・・!

まあミュージカルや芝居の専門ホールではないので仕方ないのですが、3階最前列で「見切れ」を緩和するための用意されたかさ上げクッションを敷いて座っても、手すりと壁の間から舞台を覗くような視界なんです。
音楽を聴くなら気にならないんでしょうか。どちらにしろヴィジュアルを見せるものにはひじょうに辛い席だなと思いましたので、今後オリックス劇場で観劇するときは気をつけたいと思います。

そんなわけで字幕ももちろん「3文字」程度が見れるくらいだったので、そうそうに字幕を諦めたのが今回逆に良かったのかもしれません。
ああ、こうやってライトが移動していくんだ、とか、鏡しかないセットなんですけれど、ここで鏡になってここで普通の壁になるのか、というのが感じられて、楽しかったです。

そして今回はなぜかとてもキャシーが印象に残りました。
群像劇ではあるのですが、あえて主役は誰かと言われたら「キャシー」なんだと思います。
でも「ブロードウェイ♪ブロードウェイ」でオリジナルキャストであり、モデルでもあったドナ・マケクニーのダンスを見た後だと、正直前回のキャシーのダンスシーンは全く印象に残らなかったのです。
けれど今回は少し時間が経ったこともあり、キャシーのダンスシーン「The Music and Mirror」がすごく響いてきました。
音痴のクリスティンと同じように、キャシーもショーで成功したものの「演技ができない」ことで挫折し、そこから「自分にはダンスしかないのだ」と訴えるこのシーンが、彼女も一人の不器用な人間で、でも踊ることだけはどうしても捨てられない「業」のようなものを強く感じました。

そう思うとダンサーという職業もそうだけど「ミュージカル」って根が深いです。
踊ること、歌うこと、演技すること。
別々とも思える3つの技術を求められる。

しかもこの「コーラスライン」はどのミュージカルよりもこの3つの要素がそろっていないとできない演目なのです。
そして今回のキャストは見事にそれをクリアしていたと思います。
特に「At the Ballet」の最後の高音も苦しくない聞き心地で大健闘。

前回と違うのは私自身が前回を見たおかげで「コーラスライン」のストーリーをほぼほぼちゃんと覚えていたこと(笑)
そんなわけで、もう分かっているのに、What I did for loveがはじまる前のあたりからドキドキしてきて、彼らが「こういうことを含めてこの仕事だろう」と話しはじめるあたりで、どんどん感情が連れていかれるんですよ、どうしても。

うん、安定も保証もない仕事だって分かっている。
でも止められない。やらなければ気がすまない。
だから「期限」を決めてみる。
どこで「もういい」とするか悩む。
特に彼らは「ダンサー」で肉体的な限界がある。

私は「私の夢」を「普通の生活」と天秤にかけて「普通の生活」に傾いたときに、ここが私の限界だと悟ったので、追いかけるのをやめました。
でもそこまでの「熱」は忘れないし(won't forget)、後悔もしていません(can't regret)、私が大好きなものにまっしぐらだったこと(What I did for love)を。

そして、その時間と思い出は今も私の胸のなかにあって、チクチクしながらも幸せな気持ちにさせてくれるのです。
だからきっと、今回オーディションに受からなかった登場人物で、それこそ夢を追いかけるのをやめたとしても、今の自分を思い出したとき幸せな気分になれると思うのです。
私にはそれだけ夢中になれるものがあった。
それは決して「当たり前」のことではない。誰でも持てるものでもない。
そういう「小さな幸せ」に気づかせてくれる唯一で最高のミュージカルでした。

ところで、来日公演PIPPINでバーサ役を演じられたプリシラ・ロペスさんが「コーラスライン」のディアナ役、オリジナルキャストで「Nothing」もプリシラ・ロペスさんの体験が歌になったものなんですが、本物の彼女を見たあとに改めてディアナを見ると、若かりし彼女の面影を追っているようで、それもまた幸せな体験なのでした。