こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

役替わりで見える二面性@National Theatre Live at home「フランケンシュタイン」

このままでいくと恐らく日本で演劇が見られる日が来るは、早くても7月以降だと思われます。

そんなわけで今現在、わたしの2020年度最後の観劇は2月22日梅田芸術劇場で公演されたミュージカル「フランケンシュタイン」です。

残念ながらわたしはこの作品をあまり楽しむことができず、これが現在最後の観劇となっている事実をとても哀しく思っていました。

 

ところでみなさんは「フランケンシュタイン」と聞くと、想像されるのはなんですか?

わたしはこれ↓↓↓でした。

TVアニメ 怪物くん DVD-BOX 下巻<最終巻>

しかしミュージカルを見るとフランケンシュタインはなんだか傲慢でエラソーで不器用な科学者で、親友となった人物がこの科学者の手によって「怪物くん」のフランケンみたいなものにされるのです。

さらにこの怪物がなぜか「北極」に行きたいと歌う。

原作を知らなかったために、頭にハテナマークが飛び交いました。

そこでWikipedia先生に頼り、最低限の情報を得たのでした。

 

さて新型インフルエンザの流行で、世界の主だった劇場は閉鎖し、代わりに4月上旬から寄付を目的とした過去上演作品のコンテンツ配信がはじまりました。

 

見たい作品はたくさんあったのですが、何しろ「英語」のみの上演。

とりあえず見るのはミュージカルだけにしていた頃、2015年に英国ナショナル・シアターで制作されたお芝居「フランケンシュタイン」が1週間限定配信されるよ、という情報が入ってきました。

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数年前まで英国留学していた友人曰く、チケット瞬殺した人気公演だったそう。

理由は、ドラマ「シャーロック」でシャーロック・ホームズを演じたベネディクト・カンバーバッチとドラマ「エレメンタリーホームズ&ワトソン in NY」でシャーロック・ホームズを演じたジョニー・リー・ミラーが、交代でフランケンシュタイン博士と彼が生みだした怪物を演じるから、でした。


Official Trailer | Frankenstein w Benedict Cumberbatch & Jonny Lee Miller | National Theatre at Home

ついでに演出はダニー・ボイルです。

ええ、あの「トレインスポッティング」の!あの「ザ・ビーチ」の!

(「スラムドッグ・ミリオネア」の方が有名なのはわかっていますが、わたしはこの2作が好きだったんだよ)

 

とそんなわけでお分かりのように、わたしはカンバーバッチさまに特に思入れも知識もありません。たまたま紹介されていて面白そうと思ってみた映画「イミテーション・ゲーム」の主役を演じていた姿しか知りません。

 

stok0101.hatenablog.com

ただミュージカル「フランケンシュタイン」が分からなかった理由がこれでわかるかも、と思ったのがこの英語の芝居を見ようと思った理由かもしれません。

運よく日本はゴールデンウイークに入るところでした。

今のところ会社員のため、現時点ではありがたいことに収入の心配はありません。

時間にも気持ちにもゆとりができたことに感謝したいと思います。

 

まず最初に配信がはじまったカンバーバッチが怪物バージョン。

冒頭10分、誕生して歩きだすまでの言葉のないカンバーバッチの芝居と身体能力に圧倒され、気づいたら2時間が経過してしまいました。

 

そして

これは何が何でも逆バージョンも見たい!

と終わった瞬間に思いました。

翌日に見たジョニー・リー・ミラー怪物バージョン。

昨晩見た印象と全く違う「何か」がそこにはありました。

そしてその答えを探すべく、両バージョンをもう一度見直していたら、ゴールデンウイークは明けていきました。

 

ここまでくると原作に手を出すのが正しいかと思うのですが、逆に手を出したのがこちら。

 劇中にも登場するミルトンの「失楽園」といい、原作の「フランケンシュタイン」は名著も多く登場し、その知識も必要なのですが、その辺もこの番組では補ってくれます。

長い前書きになりましたが、この番組を見たうえでの映像の感想を残したいと思います。

 

「怪物」と表記するのが分かりやすいとは思うのですが、劇中では「creature」と表現されています。

WEBの辞書でひいてみると

1.生き物、動物、人間
2.不快な[恐ろしい]生き物
3.創造された人[もの]
4.〔あるタイプの〕人間
5.〔他の人やものに〕支配されている[従属する]人

と出てきました。ちなみに発音は[US] kri't∫эr  [UK] kri':t∫э。

英国での上演ですので「クリーチャ」とカタカナ表記するのが正しいのかもしれませんが、どうもわたしの耳には「クリチャー」と聞こえるので、「クリチャー」と表記します。

「クリチャー」は上記5つの意味の中では「2.不快な[恐ろしい]生き物」と「3.創造された人[もの]」の両方を示していると思われますが、「怪物」ではないと思うからです。

そして「怪物ではない」ことがこの作品の、そしてこのお芝居の悲しいところであり、胸をうつところなのです。

 

両バージョンを見てみると、原作のイメージにはミラークリチャー、カンバーバッチフランケンシュタインの方が近いのかなと思いました。

カンバーバッチの終始子犬のようなあどけなさを残すクリチャーに対し、ミラーのクリチャーは成長します。だからこそ「なぜ自分がこのような生を受けたのか」を考え、苦しみます。

一方でカンバーバッチフランケンシュタインの感情の欠如を感じるからこそ、クリチャーとフランケンシュタイン、一体どちらが「人間」なのか、ということを考えさせてしまうのです。

おそらくこれは原作でも追求したい点であったような気がします。

カンバーバッチフランケンシュタインは、クリチャーに対する残酷さがナチュラルというか、こういう人だよね感が強いのです。

他者とのコミュニケーション不全、他人に対する想像力の欠如。そしてそれらを持ち合わせなかったけれども、美しい容姿と高いIQ、さらに金銭的に恵まれた家庭環境を授かり、より傲慢に独りよがりになったがゆえの「神の領域」への挑戦。

美意識の高さから自分の生み出したクリチャーの醜さを受け付けられなかったのも納得して見られます。

カンバーバッチフランケンシュタインはミラークリチャーを理解することは一切ないけれど、ミラークリチャーは最後にはカンバーバッチフランケンシュタインを理解し、許し、「Kill me」ではなく「Destroy me」とフランケンシュタインに呼び掛けたように思えるのが、哀しい。

しかしミラーがフランケンシュタインを演じると、科学者としての自分とその良心のなかでの迷いが見えるのがこの役替わりの面白いところでした。

上記の番組の解説で「科学者としての葛藤」もふれられましたが、それが見えるのはミラーの方のフランケンシュタインなのです。

クリチャーが「花嫁」を作るようにフランケンシュタインに要求するシーン。

なぜクリチャーが「花嫁」を希望したかについても、二人の演じ方によっても受け取るものは違いますし、ミルトンの「失楽園」がどのくらいクリチャーに影響を及ぼしたかは芝居だけでは見えづらい点なので、その辺を加味するかどうかでも変わってきます。

ただその「花嫁」をフランケンシュタインが作る動機もその後破壊してしまう理由も、二人の演技でわたしが受け取ったものは全く違いました。

カンバーバッチフランケンシュタインの動機は「より完璧な作品を作りたい」という欲望。そして破壊するのは、自分でさえ「愛」がわからないのに、クリチャーがそれを理解し手に入れ、大切に育てようとすることへの嫉妬。

ラーフランケンシュタインの動機はクリチャーへの恐れ。破壊するのは、もし本当に二人が結ばれたならその先にできてしまう「未来」、自分が作り出してしまったものへの恐怖。

その二人のフランケンシュタインが合わさったものが原作が描いているフランケンシュタインなのだとしたら、本当にいろいろなことが複合された作品なのだなと思いました。

もちろん演劇として複合したフランケンシュタインを見せることは可能です。

でもこの一方ずつを切り取って役替わりで見せたことにより、原作に潜んでいる多面性を分かりやすく引き出しているように感じます。

どちらのパターンでもフランケンシュタインが「クリチャーを産み出したことへの責務」を放棄しているのは確かで、上記番組でもこの状況が「ネグレクト」にも思えると紹介されていました。そういう視点で見たとき「ネグレクト」へ至る「親」の在り方もさまざまなパターンがあるんだろうな、ということも二人が演じることで想像が膨らみます。

もちろん約2時間の芝居ですので、原作どおりとはいきません。それでも原作で見せたかったものはきちんと見せられていた、それが一番この舞台の素晴らしかったところではないだろうかと思います。

 

ところで現在のこの状況の中でこの作品映像を見て、一番ゾッとしたのがフランケンシュタインがなぜクリチャーを作ったか、の理由の一つとして「School was so boring!」と言われたシーンでした。(このセリフも、ミラーフランケンシュタインバージョンではすごく耳に残ったのに、カンバーバッチフランケンシュタインバージョンではさらりと流れたのがおもしろかったです)

退屈がゆえに産まれてくるものが、この先の未来にあるとしたら、それはどんなものなのか、この作品を見ていると少し怖いような気分にもなったのでした。