2/20(水)20:30~ 大阪ステーションシネマ
演出:ルーファス・ノリス
マクベス:ロリー・キニア
マクベス夫人:アンヌ=マリー・ダフ
(画像はhttps://www.ntlive.jp/blank-21より)
Macbeth - National Theatre Live
東京にいたら語り合いたい。 https://t.co/0dINLBpySw
— oto (@sat_oto) 2019年2月21日
大阪在住で語り合えないので、一人語りします(^◇^;)
これはロンドンのナショナルシアターで上演された演目を映画館で見る、いわゆるゲキ×シネです。
いろいろと見たい作品は盛りだくさんなのですが、いかんせん大阪では上演期間が短く、いろいろと見逃しておりました。
そしてそれを悔やむほど、すばらしい「マクベス」でした。
最初に演出のルーファス・ノリス、衣装デザイナーそして戦場カメラマンの短いインタビューもありました。
本来11世紀のスコットランドが舞台のこの作品をルーファス・ノリスは「核戦争後のどこか」をイメージとして作ったとのこと。
ガス、電気、インターネット、そういったものが瞬時になくなれば、人々は簡単に暴力支配になるのではないか、そしてそれは今も戦闘地域では起こっていて、よりマクベスの欲望や悩みが身近に感じられるのではないか、というようなことをおっしゃっていた気がします。
そして見はじめたら、現在の冬の服装をちょっと小汚くしたような衣装に、抽象的なアーチ型の橋のようなものが掛かる舞台。
そこで「三人の魔女」が精霊のごとく独特のセリフまわしと動きで世界観を際立たせていました。
あの「マクベス」「マクベス」「マクベス」という独特のリズム、音程、イントネーションで、これほどまでに奇妙さを生み出せることにただ感嘆。これが演出です。
昔に「マクベス」を見た記憶があるのですが、インターネットで調べる限りどうも何かのタイミングで映像を見たようです。マクベス夫人といえば麻実れいさん、くらいわたしの頭の中ではあの存在感の強さのイメージが残っていました。
大学時代に授業でもちろん戯曲も読んだし、新感線の「メタル・マクベス」も劇場とゲキ×シネで見ているので、あらすじはだいたい頭の中にありました。
だからこそ、いつも拭えなかった疑問が「スコットランドという大きな王国の王を殺すことですぐ『王』になってしまえる」ことでした。
演出のルーファス・ノリスが現実の戦闘地域を身近に感じられるかも、とおっしゃっていたけれど、申し訳ないことにわたしにとっては「現実の戦闘地域」がどんなものなのか、感覚的にわからないところが多く、今回の演出を見ながら、どちらかというと「日本の戦国時代」だととらえると、今まで疑問というか感覚的に受け取りづらかったところがすとんと落ちてきたのです。
そして蜷川先生がこれを「NINAGAWAマクベス」で安土・桃山時代にしたのはまったくもって正しい判断だな、とうなりました。今さらですけど「NINAGAWAマクベス」見たかった。
世の中は混乱していて、いつ誰が天下を取ってもおかしくない時代。
マクベスはそういう時代の人だったのです。
武勲をあげるごとに「天下を取れるかも」という気持ちが高まっていた。
そこに「魔女がささやく」わけです。
今回はNTLiveだけの編集だったのかもしれませんが、三人の魔女のセリフが最小限に抑えられカットされていたのも、個人的には好みでした。
マクベスという「真面目で仕事の能力に長けた普通の人」の中にある「心の中の誘惑の声」のように感じられたからです。
そうなんです。マクベスが「普通の人」だったんです。
もちろん、悪女で名高いマクベス夫人も「普通の人」でした。
ただ環境が、時代が彼らに「身の丈に過ぎた夢」を見せた。
そしてそれを実行してしまったものの、もともとそんなことができる性格じゃないから、PTSDが彼らを襲う。
そんな「普通の人」としてマクベスとマクベス夫人を演じた二人のすばらしかったこと。
見ながらつくづく「自分の器」を把握しないといけないと感じさせました。
もちろんポールにからまりのぼり、縦横無尽にうごめく「三人の魔女」たちの身体能力もすばらしい。
Fair is foul, and foul is fair.
日本語訳では「きれいはきたない、きたないはきれい」というのが有名ですが、このセリフが聞けなかったのが残念なくらい。
「え、ひょっとしたら自分も天下人になれるんじゃないの?」と思う前のマクベスは忠誠心に満ちた、しかも王から最も信頼を得ている臣下だったわけですよ。
真面目で忠実であることは、ちょっとしたきっかけで誘惑に負けて堕ちる。
でも一方で天下を取ったマクベスは「平和で安全な良い世の中」を目指していたりするんです。
だから本当に「Fair is foul, and foul is fair.」なんですよ。
そこで来年の大河の主人公・明智光秀のことをちょっと思い出したのですね。
まあ彼については明らかなことが少なくて、何がどこまで本当なのかわからないのですが、だからこそこのマクベスのように明智光秀を描くことも可能じゃないかなと。
忠実さゆえの反逆。
少しの野心。
より良い世の中をつくりたいという「清らかな目標」。
しかしそのために取った手段は、彼の心には重すぎたのです。
そう思うと「ひかるふる路」
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で描かれたロベスピエールにもつながってくる。
清廉の人が恐怖による政治を行ってしまう。
でもその心はいつも「争いがなくみんな幸せに生きている理想の世の中」がある。
その理想のために汚れる手。血のついた手。
そして狂ったような祭典をやってみたりして、最終的には自らがギロチン台の餌食になる。
戦乱の世に起こるだろうことをシェイクスピアは不変のテーマとして描いたのか、人とは何年歴史を重ねようとも変わらないのだろうか、とかいろんなことを考えさせてしまう舞台を作りあげたルーファス・ノリスに完敗な夜でした。
ところで「マクベス」という舞台のラストシーンはしようとすれば明るくもできます。
でもルーファス・ノリスはまだまだ混乱の世の中が続くことを暗示するようなどよーんとした閉め方をしました。
これを見ながら思わずかつて見たルーファス・ノリス演出の「キャバレー」を思い出しました。
あれより前にもあれから後にもいくつかの演出の舞台版「キャバレー」を見ましたが、ルーファス・ノリス版のあのラストシーンの重さったらなかったですね。
そしてそれが彼の特長なのかな、ああ英国で彼の演出を追いかけたいとか思ったのですが、このNTLiveJapanの一番ありがたい点に気づきました。
そう、字幕です(涙)
とりあえずシェイクスピアの英語が原語で聞き取れ、理解できるようになるまではNTLiveJapanさまの恩恵にこれからもすがっていく所存です。