こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

楽しい、きれい。だけど惜しい@宝塚花組「CASANOVA」

3/2(土)15:00~ 宝塚大劇場

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脚本・演出 生田大和
音楽 ドーヴ・アチア

ジャコモ・カサノヴァ 明日海 りお
ベアトリーチェ 仙名 彩世
アントーニオ・コンデュルメル・ディ・ピエトロ 柚香 光
ゾルチ夫人 花野 じゅりあ
コンスタンティーノ 瀬戸 かずや
コンデュルメル夫人 鳳月 杏
マリノ・バルビ神父 水美 舞斗

 

多くの女性と浮名を流し、人生を謳歌していたカサノヴァ。しかしそれが仇となりヴェネツィアの風紀を乱した罪で投獄されてしまう。こんなところで一生を終えられないと同室だったバルビ神父と協力してみごと脱獄に成功。それを追う野心に燃えたアントーニオ。
その頃ベアトリーチェベネツィア総督である叔父に引き取られ、政略結婚をせまられていた。
ベネツィアはカーニバルの季節。人混みに紛れて逃亡しようとするカサノヴァとベアトリーチェはひょんなことで知り合い…。

 

ストーリーをざっと書いてみたのですが、ここからもわかるようにこの「カサノヴァ」には大したストーリーはありません。「祝祭劇」の名にふさわしい軽くきれいで楽しい恋物語です。
そのうえ「1789」でおなじみのドーヴ・アチア氏の音楽がちりばめられているので、聞いても楽しいし、セットも衣装もとてもきれいでしたので、見ても美しい娯楽作になっていたと思います。

こういう「祝祭劇」「娯楽作」は個人的には大好物です。
むしろこういう何もないはなしを「魅せられる」ものにすることこそがエンターテインメントだと思っています。
ただそれってやっぱりひじょうに高度な技なんだなあと感じる作品でもありました。
音楽も衣装やセットも、そして出演者もいいので、それなりに楽しめる。
逆にいうとそれだけ「いい条件」がそろっているのに、退屈するところも多々あったその原因はなんだろうと考えてしまったのですね。

原因の一つは、カサノヴァとベアトリーチェのソロ歌唱が多いことじゃないかと。
いやもちろん、明日海さんも仙名さんもうまいので聞きごたえあるんですよ。
しかも音楽そのものもいいんですよ。

サブタイトルが「祝祭歌劇」だから歌が多いのは仕方ないのですが、それが繰り返されるとさすがに飽きる。
しかも心情を吐露するばかりの内容のものが多かったのも残念です。
カサノヴァのソロ歌唱シーンは、女役が後ろで踊ってくれてたりするんですけれど、それもワンパターンで、そのあたりはもっと「ショー」的に「魅せる」シーンに変換する必要があったんじゃないのかなと思います。

そして、カサノヴァとベアトリーチェの歌が多いということは、他は二番手&三番手のコンデュルメル夫妻以外、あんまり説明されないというか、見せ所が少ないのです。

比較をするのはあれなんですけど、やっぱり「All for One」

月組宝塚大劇場公演 三井住友VISAカードシアター 浪漫活劇  『 All for One 』 [DVD]

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が娯楽作品として完ぺきだった要因の一つは、キャラクターそれぞれに見せ場を作って「ショー的に魅せた」ところで、この「カサノヴァ」にはそれが極端に少なかったのも退屈した原因だったのじゃないかなあと思います。

コンデュルメル夫妻もそれぞれの心情を吐露する歌唱シーンはあるんですけど、この夫妻がどうして今のような関係になったのかについては説明がないんですよね。

まあ「想像にお任せします」でも、もちろんいいんですけれど、夫人の方の設定がけっこうおもしろいので、その辺をさらっとダンスシーンで魅せたらいいのにとか、いろいろ考えてしまいました。
ワンシーン、ワンシーンが長尺だと思わせるとやっぱり疑問は「どうして一本モノのしたの?」になっちゃうんですよ。
正直このくらい内容だと100分くらいで処理できます。(例えば「グランドホテル」フルバージョンが約100分なんですけれど、濃密で優れた作品になっています)その方がスピード感もあっておもしろかった気さえします。

で、短めのショーがついてた方が嬉しかった人は多いんじゃないかなあと思うと、ちょっとばかり残念でした。

 

あ、キャストに対してはみんなすばらしかったです。
カサノヴァの知性については一切説明がないにもかかわらず(一応カサノヴァとはという宝塚歌劇団公式の説明はこちらをどうぞ→時代を駆け抜けた男・カサノヴァ | 花組公演 『CASANOVA』 | 宝塚歌劇公式ホームページ)、そういうこともぽーんと納得させる「あまたの女に愛される」男性像を作ってきた明日海さんに脱帽。歌のリズムの完ぺきでしたし、本当円熟されていました。
そして数々のすてきなドレスを着こなし、どんな曲調でもリズムでも歌いこなす仙名さんのすばらしさといったら!卒業後はぜひとも全ディズニープリンセスの吹き替えをしてもらいたい!と思ってしまいました。仙名さんの「プリンセスボイス」は本当に貴重だと思うので、これからの活躍も期待したいです。
ただ仙名さんの個性としては、こういうただのプリンセスみたいな役よりももっと「色気と知性」がある方が似合うし魅力的なんですよねえ。
だからどうしてもこの作品が生まれる1つのきっかけにもなったという「カサノヴァ・夢のかたみ」のポンパドゥール夫人を見たかったなあと思いました。

柚香光くんは敵役という二番手ならではの美味しい役を、ギラギラキラキラ演じていて本当まぶしかったです。
特筆したいのはコンスタンティーノあきらとゾルチ夫人じゅりあ。
コメディをちゃんと演じられる。しかもセリフのリズムと間だけで笑わせるというのは、本当にむずかしいんですけれど、なんなくやっちゃう2人の経験と技術がすばらしい。
この二人も本当に魅力的だっただけに、もうちょっと魅せ方なかったかなあと思うんです。

あと女役を演じた鳳月杏ちゃんのお付きの娘役ちゃんたちも。けっこうおもしろいモチーフで抽象的な存在なだけに、鳳月杏ちゃんと彼女たちのどこかのシーンが「バーン」とショーっぽく魅せるものになっていたら、これまたもうちょっと違っていたような気がするんです。

 

そう思うと総括して「いろいろ惜しい」作品でした。
あと三歩くらい何かが足りない。その三歩を詰めることがこれからの生田先生の課題かもしれないですね。

とはいえ前作の「ひかりふる路」

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とは正反対の娯楽作をここまで作ったことは、幅広い対応力を示したと思うので、今後に期待しています。

ベルばらではじまり、ベルばらで終わる平成@梅芸「ベルサイユのばら45」

2/23(土)17:00〜 梅田芸術劇場

アンドレ

ソング&トーク 麻実れい 日向薫 杜けあき 麻路さき

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前回書いたように、 

stok0101.hatenablog.com

 

わたしは平成元年雪組の「アンドレとオスカル版」が初生宝塚歌劇で、そこから2年間に上演された「ベルサイユのばら」のみ見ています。

麻実さん曰く3世代、4世代にもなる宝塚のベルばら層の2世代目しか見ていないのです。

なので正直に今回の「ベルサイユのばら45」は知らない歌がいくつかありました。

もちろん「愛の面影」や「我が名はオスカル」がわたしが見ていた時代の花組月組公演のときにできましたので、ベルばらは変化する演目だということも理解していました。

 

今回の「ベルサイユのばら45」は「ご覧なさい」からはじまるプロローグ→汝鳥怜さんご挨拶→初演映像(初演時出演された方がいらっしゃる場合はここでソング、もしくはトーク付き)→再演映像(わたしが見たときは2回ともこのあと第2世代のソング&トークでした)→ご覧なさい(ふたたびバラが咲きました♪バージョン)からはじまるプロローグ→名場面集と続きました。

 

1部の名場面はオスカルが衛兵隊長になって衛兵隊を手なづけるシーンから、歌を挟んで、オスカルが伯爵号を手放しパリ市民の味方になるシーン、そしてバスティーユへと続きます。

バスティーユが終わって、死んだオスカルにピンスポットあたったまま、カーテンが閉まったときは何があるんだ?と思ったのですが、そこからアンドレのオスカル呼ぶエコー付き声がしたときに、急速に自分の脳内に「ガラスの馬車」が再生されたときは、われながら怖かったですw

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↑懐かしの公演テレカが出てきたので貼り付けます(^◇^;)

 

もちろん「ガラスの馬車」はないので、スモークという天国の中でオスカルとアンドレがデュエットして、1部終わりでした。

 

2部はまた小公子と小公女が出てきて、「嵐は〜嵐は〜♪」と歌い、革命が激しさをまし、アントワネットの死をもとめる市民の声が高まっているというような説明がありました。

フェルゼンとアントワネットの歌があり、市民の「王妃を死刑に」があって、牢獄のシーンへと移ります。

そして断頭台で再現シーンは終わりです。

フィナーレはわたしが見たときは両方とも歌2曲あって、「小雨降る路」「薔薇のタンゴ」「ボレロ」でフィナーレでした。

 

一部でオスカルの話が終わり、二部でアントワネットの話が終わるのはとても見やすくて、改めて「ベルサイユのばら」の主人公はアントワネットなのだなと感じさせてもらいました。

 

ただ再現するのがそのシーンでよかったのか、というのは疑問です。

特に衛兵隊のシーンは名シーンというわけでもなく、歌にいたっては途中から知らないもので、それよりも今宵一夜とか、いわゆる「どの世代でも知っている名シーン」が見たかったです。

 

「ご覧なさい」が2バージョンあったことを知れたのはいいんですけれど、あれが一部の中で繰り返されるのはちょっともういいよ、的な気分になったのも事実です。

 

なので2回目の「ご覧なさい」はマリー・アントワネットの「わたしは夢のはなよーめ人形♪」で、シュテファン人形抱いてやったら、二部の牢獄のシーンにも続いてよかったのになあと。

さらに牢獄のシーンでメルシー伯爵が登場するのですが、アントワネットは「伯爵」しか言わないんですね。これも不親切だなあと思いました。

いや、分かっているんですよ。そして観客が分かっている前提で作られていて当然なんですよ。ただ「名シーン再現集」にしたいならば、本当にツギハギで再現すればよかったし、なんかしらのストーリーらしいものを見せたかったならもう少しストーリーテラーをつけるなり、魅せ方があったように思います。

あと盆とセリは梅田芸術劇場にもあるのだから、そういうものをもっと活用して「魅せて」ほしかった。

 

フィナーレは楽しかったですが、もともと大階段のダンスばかりなので、大階段がないことが残念でならない。

 

ということで、万が一50周年公演があるのなら、ぜひとも宝塚大劇場でやっていただきたいというのがわたしの願いです。

スカイステージという専門チャンネルができ、公演期間も短くなり、年10回公演で今の現役生徒さんたちはとても忙しいと聞いています。

それなら5年に一回くらい、1公演分こういうOGイベントを行ってもいいんじゃないかと思うんです。

 

今回、梅田芸術劇場での公演ということで入り待ちが禁止されていました。

でも見に行く方は「1番熱い時代の気持ち」に戻っているので、あの頃子どもでさせてもらえなかった出待ちができなかったのも残念だったりもしたのです。

 

そういう残念な部分もあったけれど、それでも見れて本当に幸せでした。

また文句を書きましたが、改めてオスカルがはじめて衛兵隊にあうシーンで飛び交うセリフは、男性社会に乗り込む女性として、当時よりずっと身近に感じたので、きちんと描かれた「ベルサイユのばら」をもう一度見てみたくもなりました。

 

オペラグラスで見たいけれど、せっかくそこにおられるのにグラス越しに見るのももったいないという葛藤を感じたのも久しぶりでした。

平成元年に見た夢が、平成の終わりに見れる、本当に文字どおり夢のような時間でした。

身の丈を知るってだいじ@NTLive「マクベス」

2/20(水)20:30~ 大阪ステーションシネマ
演出:ルーファス・ノリス
マクベスロリー・キニア
マクベス夫人:アンヌ=マリー・ダフ

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(画像はhttps://www.ntlive.jp/blank-21より)

Macbeth - National Theatre Live

大阪在住で語り合えないので、一人語りします(^◇^;)

 

これはロンドンのナショナルシアターで上演された演目を映画館で見る、いわゆるゲキ×シネです。
いろいろと見たい作品は盛りだくさんなのですが、いかんせん大阪では上演期間が短く、いろいろと見逃しておりました。
そしてそれを悔やむほど、すばらしい「マクベス」でした。

 

最初に演出のルーファス・ノリス、衣装デザイナーそして戦場カメラマンの短いインタビューもありました。
本来11世紀のスコットランドが舞台のこの作品をルーファス・ノリスは「核戦争後のどこか」をイメージとして作ったとのこと。
ガス、電気、インターネット、そういったものが瞬時になくなれば、人々は簡単に暴力支配になるのではないか、そしてそれは今も戦闘地域では起こっていて、よりマクベスの欲望や悩みが身近に感じられるのではないか、というようなことをおっしゃっていた気がします。

 

そして見はじめたら、現在の冬の服装をちょっと小汚くしたような衣装に、抽象的なアーチ型の橋のようなものが掛かる舞台。
そこで「三人の魔女」が精霊のごとく独特のセリフまわしと動きで世界観を際立たせていました。
あのマクベス」「マクベス」「マクベス」という独特のリズム、音程、イントネーションで、これほどまでに奇妙さを生み出せることにただ感嘆。これが演出です。

昔に「マクベス」を見た記憶があるのですが、インターネットで調べる限りどうも何かのタイミングで映像を見たようです。マクベス夫人といえば麻実れいさん、くらいわたしの頭の中ではあの存在感の強さのイメージが残っていました。
大学時代に授業でもちろん戯曲も読んだし、新感線の「メタル・マクベス」も劇場とゲキ×シネで見ているので、あらすじはだいたい頭の中にありました。
だからこそ、いつも拭えなかった疑問が「スコットランドという大きな王国の王を殺すことですぐ『王』になってしまえる」ことでした。

 

演出のルーファス・ノリスが現実の戦闘地域を身近に感じられるかも、とおっしゃっていたけれど、申し訳ないことにわたしにとっては「現実の戦闘地域」がどんなものなのか、感覚的にわからないところが多く、今回の演出を見ながら、どちらかというと「日本の戦国時代」だととらえると、今まで疑問というか感覚的に受け取りづらかったところがすとんと落ちてきたのです。

 

そして蜷川先生がこれを「NINAGAWAマクベス」で安土・桃山時代にしたのはまったくもって正しい判断だな、とうなりました。今さらですけど「NINAGAWAマクベス」見たかった。

 

世の中は混乱していて、いつ誰が天下を取ってもおかしくない時代。
マクベスはそういう時代の人だったのです。
武勲をあげるごとに「天下を取れるかも」という気持ちが高まっていた。
そこに「魔女がささやく」わけです。

今回はNTLiveだけの編集だったのかもしれませんが、三人の魔女のセリフが最小限に抑えられカットされていたのも、個人的には好みでした。
マクベスという「真面目で仕事の能力に長けた普通の人」の中にある「心の中の誘惑の声」のように感じられたからです。

そうなんです。マクベスが「普通の人」だったんです。
もちろん、悪女で名高いマクベス夫人も「普通の人」でした。
ただ環境が、時代が彼らに「身の丈に過ぎた夢」を見せた。
そしてそれを実行してしまったものの、もともとそんなことができる性格じゃないから、PTSDが彼らを襲う。
そんな「普通の人」としてマクベスマクベス夫人を演じた二人のすばらしかったこと。
見ながらつくづく「自分の器」を把握しないといけないと感じさせました。

もちろんポールにからまりのぼり、縦横無尽にうごめく「三人の魔女」たちの身体能力もすばらしい。
Fair is foul, and foul is fair.
日本語訳では「きれいはきたない、きたないはきれい」というのが有名ですが、このセリフが聞けなかったのが残念なくらい。

「え、ひょっとしたら自分も天下人になれるんじゃないの?」と思う前のマクベスは忠誠心に満ちた、しかも王から最も信頼を得ている臣下だったわけですよ。
真面目で忠実であることは、ちょっとしたきっかけで誘惑に負けて堕ちる。
でも一方で天下を取ったマクベスは「平和で安全な良い世の中」を目指していたりするんです。
だから本当に「Fair is foul, and foul is fair.」なんですよ。

そこで来年の大河の主人公・明智光秀のことをちょっと思い出したのですね。
まあ彼については明らかなことが少なくて、何がどこまで本当なのかわからないのですが、だからこそこのマクベスのように明智光秀を描くことも可能じゃないかなと。
忠実さゆえの反逆。
少しの野心。
より良い世の中をつくりたいという「清らかな目標」。
しかしそのために取った手段は、彼の心には重すぎたのです。

そう思うと「ひかるふる路」

で描かれたロベスピエールにもつながってくる。

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清廉の人が恐怖による政治を行ってしまう。
でもその心はいつも「争いがなくみんな幸せに生きている理想の世の中」がある。
その理想のために汚れる手。血のついた手。
そして狂ったような祭典をやってみたりして、最終的には自らがギロチン台の餌食になる。

 

戦乱の世に起こるだろうことをシェイクスピアは不変のテーマとして描いたのか、人とは何年歴史を重ねようとも変わらないのだろうか、とかいろんなことを考えさせてしまう舞台を作りあげたルーファス・ノリスに完敗な夜でした。

 

ところで「マクベス」という舞台のラストシーンはしようとすれば明るくもできます。
でもルーファス・ノリスはまだまだ混乱の世の中が続くことを暗示するようなどよーんとした閉め方をしました。
これを見ながら思わずかつて見たルーファス・ノリス演出の「キャバレー」を思い出しました。

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 あれより前にもあれから後にもいくつかの演出の舞台版「キャバレー」を見ましたが、ルーファス・ノリス版のあのラストシーンの重さったらなかったですね。
そしてそれが彼の特長なのかな、ああ英国で彼の演出を追いかけたいとか思ったのですが、このNTLiveJapanの一番ありがたい点に気づきました。
そう、字幕です(涙)

とりあえずシェイクスピアの英語が原語で聞き取れ、理解できるようになるまではNTLiveJapanさまの恩恵にこれからもすがっていく所存です。

30年の時を超えて@梅芸「ベルばら45」

2/15(土)12:00~ 梅田芸術劇場

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1980年~1990年代ALL

トーク&ソング 日向薫、紫苑ゆう、杜けあき一路真輝

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宝塚歌劇で「ベルサイユのばら」が上演されてから45周年目ということで、「ベルサイユのばら45」と名づけられたイベントが開催されました。

ベルサイユのばら」の宝塚OGによる大掛かりなイベントはこれがはじめてで、あと5年待てば、切りのよい50周年目だったにもかかわらず、今開催されたのは、「平成が終わる」ということも少しあるのかなあと思ってしまいました。

 

というのも、宝塚歌劇で「ベルサイユのばら」が再演されたのが平成元年の8月のことだったからです。

そして奇しくも、わたしの宝塚歌劇観劇デビューでもありました。

だからこの「ベルサイユのばら45」の上演が決まったとき、「ああ、もうあれから30年も経ったのだなあ」としみじみしたものです。

そして、私が平成元年8月に雪組ベルサイユのばらアンドレとオスカル編~」に足を運ぶ原因となった大好きな杜けあきさまもご出演なされるということで、久々に当時のドキドキした気持ちで劇場に赴きました。

 

平成元(1989)年の「ベルサイユのばら」再演は宝塚歌劇75周年・フランス革命200年を記念して興行されたものでした。初演からは15年経っているとのこと。

さすがに初演は生まれる前のことなので、原作マンガ以外の何の知識もなく劇場に行き、圧倒されて帰宅したことだけを覚えています。

夏だったのに、暑かったのか過ごしやすかったのかとか気温や天気のことは全く記憶にありません。

ただ自分の体中が熱くなって、終わったときにはほてったような状態だったこと(母親は冷房で寒かったと言っていたこと)、補助席ながら前から4番目という良席で見せてもらって、終わったあとの客席のじゅうたんに衣装から外れたであろうスパンコールとふわふわの羽が落ちていたことだけを鮮明に覚えています。

そして機会に恵まれもう一度雪組を、連続公演だった星組の「フェルゼンとマリー・アントワネット編」を一度、さらに翌年春の花組「フェルゼン編」を二度観劇し、「ベルサイユのばら」はもういいやという気分になったころ、ダメ出しのように涼風真世さんトップお披露目公演の月組「オスカル編」に杜けあきさんがアンドレ役で出演されるということで、杜さんアンドレの日に一度見に行きました。

もちろん当時プログラムについていた脚本は何度も何度も読み返し(書き写しw しかも原作どおりの順番になるよう3組分組みあわせた大作ww)、もちろんマンガも文字通りボロボロにまるまで読み倒し、テレビ放映された映像は録画して何度も見ました。

平成元年から2年間、わたしは「ベルサイユのばら」にどっぷり浸かりすぎるほど浸かっていました。

 

あの感動から30年の間に、わたしは一度宝塚歌劇を見ることをやめ、10年ほど前から再度見はじめたのですが、見ていない時期にも、再度見始めてからも「ベルサイユのばら」は下記を含め、3度再演されました。


けれども例え好きなスターさんが出演される公演でも「ベルサイユのばら」であれば、わたしは見に行きませんでした。

最初の感動を上書きしたくない、というわけではありません。

若い頃2年間「ベルサイユのばら」に浸かりすぎたために、もうお腹いっぱいで入れる隙間がなかったのです。

 

なのに「ベルサイユのばら45」は大阪公演の初日に駆けつけてしまった。

それはもちろん杜さんが見たかったというのが一番の理由ですが、「私の平成はベルばらではじまったのだから、ベルばらで終わらそう」という気持ちもありました。

そんなわたしの気持ちに応えてくれるような「ベルサイユのばら45」は、公演として突っ込みどころはたくさんありました。あれから30年経って、それなりの数の舞台を見てきた分、わたしも擦れてしまいました(笑)

それでもあの頃「ただ好きで、ただ憧れた」あの気持ちをよみがえらせてくれるものでした。

 

公演自体の感想は、今週末にもう一度見に行くので、改めてまとめたいと思います。

 

とりあえずこの日のトークショー日向薫さん、紫苑ゆうさん、杜けあきさん、一路真輝さん)のトーク部分だけ、思い出せるかぎり書きとどめておきます。

Twitterにも書きましたが、わたしは瞬間記憶力も耳からの記憶力も低いので、会話はすべてニュアンスとしてとらえてください。会話の順番も曖昧です。すみません。)

 

日向「ご存知ない方もいらっしゃるだろうから自己紹介から」

(4人一斉に一路さんを見る)

一路「あ、下級生順ですね。平成元年の雪組でオスカルを演じました一路真輝です」

杜「平成元年の雪組アンドレ・グランディエを・・・、ってもう平成終わるんですね。あれから30年も経ったなんて。ついこの間のような気がして。あ、自己紹介ですね。え、知らない方います?」

日向「いるかもしれないでしょ」

杜「平成元年の雪組アンドレ・グランディエ、それから今はなんか『全国ツアー』っていうんらしいですけど、わたしたちのときはね、『地方公演』っていってね」

(3人「そうそう」みたいな頷き)

杜「『全ツ』『全ツ』ってなんか電気屋さんみたいですよね。全国ツアーでオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ…ってあってる?(紫苑さん、一路さんに)」

(二人頷く)

杜「あと、涼風真世さん、カナメちゃんのお披露目公演でアンドレを演じました杜けあきです」

紫苑「紫苑ゆうです。平成元年の雪組で特別出演でフェルゼンを演じて、その後ニューヨーク公演で星組には出られなくて、東京公演の星組花組でオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェを演じました」

日向「平成元年星組のフェルゼンとアントワネット編でハンス・アクセル・フォン・フェルゼンと月組さんでアンドレを演じました日向薫です」

一路「ネッシー(日向)さん、わたし、今、思い出しました」

日向「そうだよね」

一路「星組さんでも特別出演でオスカルをやらせてもらって、その時のアンドレは今ここにはいないんですけど、麻路さきさん、マリコちゃんで、ネッシーさんとも『ボレロ』を踊らせていただきました」

日向「そう5人代わりでね」

紫苑「代わりって私の代わりって意味ですか?!」

日向「違うわよ。ちゃんと5人って言ったでしょ。あなたの代わりなら4人って言うでしょう」

 

日向「みんな原作(マンガ)は読んでた?わたしは当時連載中で夢中になって読んでた」

杜「私と一路は15年前の初演の『ベルばら』を見て」

紫苑「それなら私だって」

杜「違う、違うの。おとうちゃん(紫苑さんのこと。杜さんは紫苑さんのことをこう呼ぶ)は今黙ってて。私は宝塚を知らなくて、テレビで放映された『ベルばら』を仙台で見て」

一路「私は名古屋の一宮市民会館で」

杜「はじめて宝塚を観たの」

紫苑「私は神戸出身なので宝塚はしょっちゅう見に連れられてたんですね。でもあんまり興味がなくて、でも原作の大ファンでそれを宝塚で見て、宝塚にはまったんです。だから今の私があるのは『ベルばら』のおかげなんです」

日向「私はね、初演の星組公演が初舞台でした。だから本科生のころによく見てて。お客様が本当に熱くて」

杜「私たちは再演という恵まれた環境でやらせてもらったんです。もちろん原作のイメージを壊さないようにというのはすごく気を使ったけれど、初演のときは原作ファンの方とのこともあって、大変だったんですよね」

紫苑「原作イメージがあるからね。だって前髪からまつげ出てるんやで。もはや前髪にまつげつけたらいいんちゃうっていう」

日向「そういえば、シメ(紫苑)は鬘を」

紫苑「はい!オスカルの鬘8ツ、ボレロ4ツ作りました!」

 

杜「自分が憧れた作品にとても大きな役で出演できるって本当に運がいいと思います。この後、スターさんたちが衣装つけてやるんですけど、それを見るたびに感動するよね」

紫苑「どうして私たちは衣装が着られないんだーー!」

日向「まあまあ。でもボレロとかね、思わず一緒に踊っちゃうよね」

杜「そう、この4人はみんなボレロをやっているので、実は後ろで一緒に踊ってるんです。もう衰えたから足踏みだけだけど」

一路「そんなこと言ったら、みなさん思い出して笑っちゃうじゃないですか」

杜「大丈夫。そんなこと忘れるくらい素晴らしいから」

 

日向「再演の時の思い出とかも話しておく?」

(3人一路さんを見る)

一路「あ、私からですね。私たちは平成ベルばらの最初の公演だったので、前夜祭っていうのがあったんですね。そこで一場面演じることになったんです。で、今みたいなこういうカーテンの裏でスタンバっていたらですね。あの杜けあきさんがね、緊張で震えてらして。もちろん重圧もあったからなんですけど」

杜「違うの。あのって言うけど。一路さんも。あなたが杜けあきさんっていうから、つられるじゃない。いっちゃん。東京でもいっちゃんがこの話をしたんですけど、私、全然記憶になくて」

一路「そう。記憶にないんですって。」

杜「毒殺?毒殺のシーンだっけ?」

一路「毒の入ったワインを飲ませるところ。持ってたワイングラスがガタガタ揺れてたんですよ」

杜「でも、あの、っていうけど、私は、あ、私とかマリコちゃん(麻路さきさん)はドーンってしてるから緊張してないように見えるだけで、本当はすっごく緊張してるの。でもいっちゃんが東京でこの話をしたときに、ちょうど客席にアユちゃん、鮎ゆうきちゃんがいてね、終わったあとお食事したんですけど、アユちゃん『一路さん、あんなこと言ってましたけれど、一路さんの方がもっと震えてましたよ』って言ってたよ」

日向「あ、そろそろ時間が」

杜「ここ、すごく客席近くないですか。東京のときはもうちょっとこのカーテンも後ろにあってね。でも後ろにレジェンドが控えてるから後ろからの圧もすごくて…」

日向「オーラね」

紫苑さん「(カーテンの間から舞台を覗いて)ショーちゃん(榛名由梨)さんが私のせいにせんといてって言ってはる」

日向「関西のノリね」

というところで、無事にトークコーナーは終了しました。

 

とにかくあの大好きだけが詰まった時代のトップスターさん、2番手スターさんのトークに胸いっぱい、笑いいっぱいで幸せなひとときでした。

切なくなるほどハッピーにしてくれる、それがメリーポピンズだから@メリーポピンズ リターンズ

2/1(金)なんばパークスシネマ

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なぜこんなにミュージカル好きになったか、を考えると、きっかけはメリーポピンズでした。

もちろん

だって、

だって大好きでした。

でも「メリーポピンズ」は特別でした。

その理由を「メリー・ポピンズ リターンズ」を見ながら考えたのですが、それは後にしますね。

 

とりあえず「メリーポピンズ」が大好きなわたしが、この作品のことを知ったのは、リン=マニュエル・ミランダのTwitterでした。

リターンズってついてるってことは、「帰ってきたメリーポピンズ」

帰ってきたメアリー・ポピンズ (岩波の愛蔵版 14B)

帰ってきたメアリー・ポピンズ (岩波の愛蔵版 14B)

 

ミュージカル映画化?とか思ったのですが、どうやら違うらしい。

で、勝手に

リメイクか!

リン=マニュエル・ミランダがバートなら見に行く!

と決めておもむきました。

 

そしてはじまってリメイク版でないことを知りました(^◇^;)

最初に早速リン=マニュエル・ミランダが歌うのですが、この辺りで音楽違う、あれ?とは思ったんですよね。

でもその後のオーバーチュアはみごとにオリジナル版の音楽なんですよ!

そして物語がはじまったらブーム海軍大将が大砲を鳴らして、例の「桜通り17番地」のバンクス家が映って、ジェーンとマイケルという名前が出てくる。

やっぱりリメイクだと思ったら、なんと母親だと思っていたのがジェーンで、父親がマイケルだったのです!衝撃!

 

ま、そういうことでオリジナル版とは全く違うストーリーと音楽の作品だったわけですが、これは間違いなく「メリーポピンズ」が「リターン」する話しでした。

 

子どもの頃、メリーポピンズのどのシーンが好きだったかというと、

①ジェーンとマイケルの歌声と手紙の内容

②チムチムチェリーに乗せて、煙突掃除夫たちが屋根で華麗に踊るところ

③スーパーカリフラジリスティックエクスビアリドーシャスのアニメーションのコラボと美しい衣装、カラフルな絵面

だったのですが、リターンズにはオリジナルに劣らないシーンが全部ありました!

笑い上戸のアルバートおじさんに代わる人物と設定もあったのです!

 

映画館についてから、監督がロブ・マーシャルということも知ったのですが、この時点ですべてのダンスシーンに対する安心感。

ロブ・マーシャルといえば、振付家

しかもフォッシーに憧れた人で、かつミュージカル映画版「CHICAGO」の監督です。

個人的に振付家のつくるミュージカル映画は、ダンスシーンにこだわりがあって見応えがあるので信頼できるのです。

そしてその信頼にきっちり応えるロブ・マーシャル、バンザイ!

フォッシースタイルのショーシーンで、ハットとステッキの使い方がすばらしかったのはもちろんのこと、メリーポピンズのドレスの裾さばきまで美しくて堪能しました。

さらに煙突掃除夫ではなくて街灯点灯夫たちの街灯を使ったダンスシーンは、幻想的かつ迫力満点!!

ああ、このシーンだけでもまた見たい!

そしてそういうダンスシーンがあれば、わたしにとってミュージカル映画は成功です。

 

その上で、この映画はちゃんと「メリーポピンズ」でもあったのです。

オトナになったジェーンとマイケルが生きているのは大恐慌時代のロンドン。

マイケルには3人の子どもがいるのですが、一年前に妻に先立たれ、哀しみが癒えずにいます。そこにたたみかけるように借金の取り立てがやってきて、思い出つまった「桜通り17番地」の家が差し押さえられるかもしれないという大ピンチ。

そんなときにやってくるのです。

そんなときだから、やってきてくれるのです、メリーポピンズは。

 

「Saving Mr.Banks」を見たときに(感想こちら→https://stok0101.hatenablog.com/entry/2016/06/13/121000)

ああ、こうやってどうにもならない現実を無理矢理でも強引でも前に進めてくれる人がほしかったのだな、そしてそれを「メリーポピンズ」として書いたのだなと涙しました。

だからこそ今回の「メリーポピンズ」は「メリーポピンズ」でした。

 

メリーポピンズは魔法みたいなものを使う。

けれどそれが彼らを直接的に助けてくれるわけではないのです。

まあ今回のビッグ・ベンでのシーンでは、ジャックたちがあんなに苦労したのに、それができるなら最初からやってやれよ、とは思いましたが、それ以外は特に何もしてくれません。

メリーポピンズの魔法はもしかしたら思い込みで夢かもしれない。

辛い現実が見せた幻かもしれない。

メリーポピンズは不可思議をいっさい説明しません。

そしてそれこそが、昔も今もわたしを魅了しているのではないかと思うのです。

 

この世は辻褄や説明のつくことばかりではない。

それでもみんなそれぞれの方法でなんとか1日を過ごして生きているのです。

映画のメリーポピンズはそれを少し楽しい方へ手伝ってくれるのです。

その楽しいものに「これこれこういう理由だから楽しい」とかいらないのです。少なくともわたしは。

突然におこる不思議を楽しんでしまいたいのです。

そしてこの映画はまさしくそういう映画でした。

最後の幸福感は「Saving Mr.Banks」を思い出すとまた切なさもあり、ただただ涙でした。

(でもPLトラヴァースは絶対この映画も気に入らなかったとは思いますw ただエンドロールでトラヴァース家への感謝の文字が流れたのが、とてもよかったです)

ぜひとも少し心がつかれた日に見てもらいたい映画です。

メリーポピンズがきっと少しだけ元気をくれます。

 

ところでオリジナル版の「メリーポピンズ」と言えば、ジュリー・アンドリュース

もはやメリーポピンズとイコールで結ばれてる役を新たに演じるというのはけっこうなプレッシャーな気もします。

でもまあ、ロンドンで舞台版ミュージカル「メリーポピンズ」が上演されたのが2004年のこと。その12月にロンドンで舞台版を見ました。

さらに去年日本でも日本版が上演されましたから、メリーポピンズがジュリー・アンドリュースでなくても耐性はできていたように思います。

それを置いておいても、エミリー・ブラントのメリーポピンズ はステキでした!

厳しそうでキツそうなところは、ジュリー・アンドリュースよりも原作のメリー・ポピンズに近かったのでは。

プラダを着た悪魔」でハリウッド進出したらしいのですが、見ているのに全然記憶にない(^◇^;)

しかし舞台と映画のキャリアしか見当たらないのに歌がいいんですよ!

わりと低めの声で、発声が強くて歌声に力があるんです。つまり個人的にとっても好みな歌声でした。なかなか日本人には出せない声質。

これは映画のためにちょっと勉強したくらいでは歌えないだろうと思って調べてみたら、学生時代ミュージカルでエジンバラ・フリンジ・フェスティバルに参加していて、そこでエージェントに見出されたとのこと。納得。

(映画の番宣でジェームズ・コーデンの番組に出てるかも、と思って探したらありました!

エミリー・ブラント、エビータ似合う!)

 

そしてわたしが見に行くきっかけになった、リン=マニュエル・ミランダは文句なくチャーミングでした!

歌も彼の特技を活かしたラップもあったりして、その辺りの進化も楽しかったですね。

ちなみにリン=マニュエル・ミランダは、今や大ヒットミュージカルとなった「ハミルトン」

Obc: Hamilton

Obc: Hamilton

 

の脚本・作詞・作曲家で主演までしちゃうブロードウェイ・ミュージカル界の若きスーパースターです。

 

バンクス家の子どもたちの歌も可愛かったし、

マイケルのソロ曲も切なくてよかったし、最後の最後で「2ペンスを鳩に」も絡まされて、映画「メリーポピンズ」ファンとしては、すみずみまで満喫できる作品でした。

しかしこれ、映画「メリーポピンズ」ファン以外が見たらどう思うんでしょうね。

そして、映画「メリーポピンズ」ファンとしてあるまじきことに、バートを演じていたディック・ヴァン・ダイクが出演していたことにエンドロールで知らされるまで気づきませんでした(^◇^;)

とりあえずブルーレイが発売になったら絶対に買うんですけど、その前にディック・ヴァン・ダイクの登場がどこだったか確かめに、また見に行くべきですかね。

観劇で一年を振り返る2018

あっという間に今年も終わりですね。
気づいたら大晦日なので、恒例の観劇記録をやります。

★11月

KERA MAP「修道女たち」
宝塚雪組「ファントム」

 REON JACK3

★10月

ジャージーボーイズ


★9月

シス・カンパニー「出口なし」

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 宝塚月組エリザベート

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 来日公演「コーラスライン

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★8月

シアタークリエ「TENTH」兵庫公演

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 宝塚花組メサイア」「ビューティフルガーデン」

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 ★7月

宝塚雪組凱旋門」「Gato Bonito!!」 

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 ★6月

1789-バスティーユの恋人たち

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 宝塚星組「ANOTHER WORLD」「Killar Rouge」

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 ★5月

ナイロン100℃「100年の秘密」 

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 ★4月

ラ・カージュ・オ・フォール 

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 ★2月

マシュー・モリソン ビルボード大阪ライブ

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 宝塚月組「カンパニー」「BADDY」

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 劇団四季ジーザス・クライスト・スーパースター エルサレムバージョン」

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 デビット・ルヴォー「黒蜥蜴」

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 ★1月

シアタークリエ「TENTH」ニューブレイン週 

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 宝塚花組ポーの一族

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 まさかの20本ですか!
そりゃあ赤字になるわけだ。
しかもエリザベートは一回台風で公演中止になったからなあ。

あ、REON JACKの感想が書けてないのは、ダンスはすばらしかったのに、構成と公演の趣旨が「柚希礼音による柚希礼音ファンのためのコンサート」だったからです。
本人とファンがあれで納得しているならば、部外者がどうこういうものじゃないのです。
とりあえずすばらしいダンスを見れたことに感謝。そしてすばらしいダンスシーンで手拍子はやめようと思いました(^◇^;)

いやー、わたしもダンスするようになってから手拍子がリズムとずれてることが気になって、必死に1人でドラム音に合わせて手拍子してたんですけど、やっぱりあれ、ダンサーにとってはリズムがずれるのが気になるらしいですよ(SHUN先生談)(^◇^;)

あとは今さらながらケラさまに目覚めた一年でした。
ル・サンクを写真目当てでしか買わないのに、「100年の秘密」も「修道女たち」も戯曲を購入しましたものねえ。
そしてケラさまにハマった元々の下地はどこからくるかというと、「出口なし」だったりするわけですよ。
そんな演劇への夢とかを思い出させてくれた一年でもありました。

ということで、いってみましょう!

★あなたの賞を作ってください(つけたしても可)

作品賞
【黒蜥蜴】


これ、今回本当に難しかったのですけれど、脚本・演出・役者のバランスが最も高かったもの、という基準で選びました。

 

若人よ蘇れ・黒蜥蜴 他一篇 (岩波文庫)

若人よ蘇れ・黒蜥蜴 他一篇 (岩波文庫)

 

 



あの三島由紀夫の流麗な日本語を中谷美紀さんが奏でるように口にするのが本当に美しかったです。
そしてルヴォー氏のマイナスの美学なセット。
いいのですけど、ケラさまも宝塚も割ともりもり派なので、引き算のセットに今回は軍配をあげようかと。
そうそうポスターも抽象的で美しかったこともすばらしいです。

脚本賞
【修道女たち】

 

修道女たち

修道女たち

 

 



もうこれしかないでしょう!
なんでこんな世界観が作れるのか、前半だけでケラさまの才能に嫉妬しました。
たぶんわたしは、こういうものが作りたかったのじゃないかと。こういうものを作れる人になりたかったのだと、若い頃の夢を思い出しました。

特に今年は個人的な「BADDY」の呪いにかかっていまして、ショーですらロジカルでないと受け入れてもらえないことにかなりのショックを受けたのです。

そこをね、ケラさまはこの作品でかるーくぶっ飛ばしてくださったのですよ。
作品が素晴らしければ、ロジカルだろうとそうでなかろうと感動できる。
ケラさまの脚本が全くロジカルでない、というわけではないですよ。
でもすべてにロジック、因果関係や理由があるわけではない。そういうことが起こりうるのがこの世の中ではないか、とそう言ってくれた気がしたのです。
「なんでもわかるわけじゃないんですよ」
というセリフは、作品ともあいまって、許しみたいなものを与えてくれました。

演出賞
【藤井大介/Gato Bonito!!】

 

 



脚本賞の前段をふまえて、この結果で。
わたしが宝塚全公演を観ているわけではないので、偶然見ただけで申し訳ないのですが、それでも宝塚観劇復活してから見た新作ショーでは、水さんサヨナラの「Rock on」以来、これ巻き戻してもう一回最初から見たい、永遠に見たい、と思えるショーを作ってくれたことに感謝です。
ちゃんと円盤も購入しました(正しくはリクエストしてプレゼントにもらったのですが)。
楽しいです。キレイです。こんなストレスフリーで楽しいショー、ひさびさでした。

主演男優賞
中川晃教/ジャージーボーイズ】

本当に中川晃教がいなかったら、この公演の日本版なんて作れなかったですよ。
アッキーにとっても、「モーツァルト!」「SHIROH」に次ぐ当たり役じゃないですか?
FNS歌謡祭で「再演します!」的なことをおっしゃってたのを信じて、再々演をお待ちしております!
今度はいい席で2回くらいがんばってチケット取ります!
楽しい楽しい作品ですが、それ以上に中川晃教を見て聞くだけで価値のある作品でもありました。

主演女優賞
【明日海りお/ポーの一族

 

花組宝塚大劇場公演 ミュージカル・ゴシック『ポーの一族』 [Blu-ray]

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トップ男役に女優賞というのもなんですが、少年役なので、あえて明日海さんに。
というくらい明日海さんのエドガーがエドガーとしてスキルで魅せてくれた点をわたしはとても評価しています。
少年役も人でないもの役もとてもスキルのいるものです。
それを明日海さんはなんなくこなした上で、美しくエドガーを魅せてくれた。
感想にも書きましたが、ビジュアルだけでいったら明日海さんよりエドガー向きの人はいくらでもいます。
宝塚だけでなく、今のミュージカル界の2.5次元ミュージカル出身者男性は、めちゃめちゃ美形の人が多い。
それでも明日海さんほどのスキルをもってエドガーを演じられるか、魅せられるかというと別問題だと思うのです。

助演男優/女優賞
ソニン/1789】

もうここの常連ですね、ソニン(^◇^;)
わたしは彼女の主演舞台を見たことがないので、ぜひとも「WICKED」のエルファバを彼女で見たい!
誰かが書いてらしたけれど、もはや「ソニンというジャンル」まできましたものね。
とりあえず来年「キンキーブーツ」再演を見に行くことは決まっているので、またソニンを見られるのを楽しみにしています。

男優賞は成河くんかな。
ミュージカル、演劇どちらもきちんとできるスキルがすばらしいです!

そして照明&セット、衣装デザイン賞はやっぱり「黒蜥蜴」に。日本ってマイナスの美学の国なのに、なかなか演劇でそれを活かせる演出家、セットデザイナーが出てこないのが残念です。

★総括と来年の意気込みをどうぞ
あ、総括を脚本賞で語ってしまってる(^◇^;)
ま、そういうことです。
だからやっぱり「出口なし」が今年はじめて日本語で見られたのも大きかったですね。
そして上演されたのもすばらしいと思います。
演劇は単なる娯楽だけど、でも見るならばそれ相応に勉強するのも一つの楽しみ方で、演劇を勉強するなら、やはり「出口なし」とかは必見の作品です。
ああー白井晃演出の「出口なし」も見たい!
なぜ大阪に来てくれないんだ!
という思いをたくさんしそうな一年な気がします。
でも情報収集して、いい作品が大阪に来たときにらなるべく見られるよう、がんばって働きます!←そこか!笑

不思議が生み出すもの@KERA MAP「修道女たち」

11/23(木・祝) 17:30〜 兵庫県立芸術文化センター 中ホール

キャスト
オーネジー 鈴木杏
シスター・ニンニ 緒川たまき
テオ 鈴木浩介
シスター・マーロウ 伊勢志摩
シスター・ソラーニ 伊藤梨沙子
シスター・アニドーラ 松永玲子
テンダロ/ドルフ/保安官/死神 みのすけ
シスター・ノイ 犬山イヌコ
シスター・ダル 高橋ひとみ
シスター・グリシダ(声のみ) 林原めぐみ

作・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ



上演時間が長いよ、と聞いていたのですが、実際はこんな感じでした。


でも見ていると体感時間は一瞬でした。
そのくらい集中して惹きつけられたお芝居は久々でした。
一部終わったあとにわたしがとった行動は、すぐに戯曲を買う、でした。
修道女たち
ケラリーノ・サンドロヴィッチ
白水社


この本のあとがきによると、事情がありポスターを取った時点では修道女が出る物語、以外のなにも決まってなかったそうです。
そこからあれだけの世界観を創り上げるケラさまにひたすらうなるばかりです。

そんなストーリーはこんな感じでした。
とある国でキリスト教っぽい修道院に入っている修道女たち6人が、毎年恒例の巡礼の旅にでます。
彼女たちが信仰する宗教の聖地はど田舎にあり、その伝説は真冬におこったとされるため、凍てつく寒さの中、雪の降り積もる祠へ向かいます。
その祠では、修道女に憧れるオーネジーとオーネジーにつきあって幼なじみのテオが修道女たちを待っています。
無事、巡礼地についた修道女たちですが、出発前から抱えていた問題は、ここでも彼女たちにせまりきます。


オープニングの教会っぽい背景の前で、修道服に身を包んだ修道女たち6人が交わす会話のおかしさ。この不自然さをまるっと飲み込むものが宗教というものなのかもしれません。
6人のうち1人シスター・ソラーニは母親に連れてこられただけで一向に信仰心などないので、そこに突っ込んでいくのですが、特に緒川たまきさん演じるシスター・ニンニは彼女の指摘こそが不思議という感じなのです。
何か神々しい雰囲気をまとう緒川たまきさんの美しさこそが、シスターというどこか浮世離れした存在を表現していました。

しかしながらシスターたちも浮世と離れて暮らしていけるわけではないのです。
彼女たちを襲った苦難の現実。
それにどう向き合うのか。
どこまで何を信じるのか。
その中で起こる不可思議がみごとに溶け合い、包み込むように1つの世界が出来あがっているのです。
最後のその美しい完結を見るとき、スノーボールの中の世界に引きずり込まれたような感覚でした。

最中の会話は俯瞰者として面白く笑ったり、彼女たちと一緒にドキドキと怯えたり、少しずつ晒されていく事実に納得したり、本当に終始気持ちを引っ張られる舞台でした。
あの美しい完結も、オーネジーの希望が見せたもので、現実は本当に陰惨な絵なのもしれないと思うと震えました。

全てを知った今、またもう一度見たい、そう思うのです。
でもシスター・ニンニは緒川たまきさん以外考えられない。
あの﨟たけた美しさ。
玉を転がすような柔らかくて優しい声。
彼女こそが女神でした。
神に仕えるということの意味を緒川たまきは全身で表現していたのです。

そんなシスター・ニンニだったからこそオーネジーが憧れるのがよく分かる。
オーネジーは少し知恵おくれです。だから難しいことは分からない。けれども純真でだからこそ無邪気に残酷で、純粋な凶暴性も持ち合わせているさまを鈴木杏ちゃんがさすがの演技力で魅せてきます。
ただもし可能であれば、鈴木杏ちゃんの演技力を持ちながら、透明感が出る役者さんでこの役はもう一度見てみたいなと思いました。
昔の羽野晶紀さんのような、藤原竜也くんみたいな透明感。鈴木杏ちゃんの演技力がそれこそ誰もが身につけることができないように、透明感も努力ではどうにもならないのはよく分かっているけれど、緒川たまきさんの浮世離れ感に最終的に一体となっていく感じが個人的には見たいなと。

それにても犬山イヌコさんと伊勢志摩さんの掛け合いの面白さといったら!
絶妙な間合い、絶妙なトーン。
戯曲を読むだけでは笑いまではいかないところをちゃんとおかしく見せるのを見るとき、演劇のすごさを感じます。

そしてシスター・アニドーラの高橋ひとみさんがまた良かった。
悩める母親、1人の女、バカだけど真剣で、でも色気があってチャーミング。
アニドーラ自身が高橋ひとみさんそのものみたいに感じさせたのがさすがです。

もちろん何役も演じたみのすけさんのコミカルさ、鈴木浩介さんのオーネジーに通ずる優しさと残酷性もすばらしかったです。
ただ戯曲に書かれていた最後のセリフが、実際には聞こえなくて、このセリフが聞こえるか聞こえないかでずいぶんと変わってくる気がするのです。それが残念でした。

今回もプロジェクションマッピングを使ったオープニングもセットも照明もとても美しかったです。
でもセットについては、100年の秘密の方が好きでした。木が真ん中にあるのに不自然に感じさせない舞台の強みをドーンと魅せてきたのに対して、今回は美しいけれどまあ普通のセットだったんですね。特に外の降り積もった雪のセットのところはもう少し演劇的な見せ方ができたらおもしろかったかもしれません。

ところで物語はロジカルでいずれはAIが作るだろう、とある人が言っていました。たしか演劇を作る人だったと思います。
でもこの物語はAIでは絶対に作れない。
見ながら「辻褄があわないとイヤな人が見たらイヤだろうな」と思うシーンがいくつかあったのですが、そのシーンが全て戯曲のあとがきにそういうご意見があったと書かれていて納得。
でもケラさまの、シスター・ノイの言葉どおり、世の中は「なんでもわかるわけじゃないんですよ」。
まだまだ説明のできることばかりではない。
説明できないことは「不思議」になる。
そこに信仰が生まれることもある。

理詰めに疲れたわたしを優しく包んでくれるそんな舞台でした。